2019年02月20日
1176 昼神車塚古墳 大阪府高槻市 60m
高槻市のHP.の「インターネット歴史館」の「昼神車塚古墳」の項目で、「昼神車塚古墳は上宮天満宮参道のすぐ東側に位置する前方後円墳です。全長60メートル、後円部径30メートルで、前方部の発掘調査では、犬や猪、角笛(つのぶえ)をもった狩人などの埴輪が出土しました。現在、前方部は復元・整備され、その様子は復元埴輪でみることができます。」と記されています。
古墳は、JR.東海道本線「高槻」駅の約500m北に位置しています。前方部の下に府道67号線が通り、古墳が保護されたことがうかがえます。ただ、周囲は柵に囲まれて墳丘内には立ち入れませんでした。
淀川の支流芥川を間にはさんで、約2km西に、真の継体大王(天皇)の墓と考えられている今城塚古墳(ランキング45位)があります。
石柱。
大阪府教委・高槻市教委の説明板2つ。

後円部全景。南西から。
前方部左隅部分。北北東から。
前方部右隅から後円部。北北西から。
前方部端の復元埴輪。
やや全景。右奥に後円部の一部、左手前が前方部。北西から。
以上2015年3月撮影。
古墳は、JR.東海道本線「高槻」駅の約500m北に位置しています。前方部の下に府道67号線が通り、古墳が保護されたことがうかがえます。ただ、周囲は柵に囲まれて墳丘内には立ち入れませんでした。
淀川の支流芥川を間にはさんで、約2km西に、真の継体大王(天皇)の墓と考えられている今城塚古墳(ランキング45位)があります。
石柱。
大阪府教委・高槻市教委の説明板2つ。
後円部全景。南西から。
前方部左隅部分。北北東から。
前方部右隅から後円部。北北西から。
前方部端の復元埴輪。
やや全景。右奥に後円部の一部、左手前が前方部。北西から。
Posted by じこま at
09:09
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2019年02月20日
1175 乗場古墳 福岡県八女市 60(70)m
八女市のHP.の「乗場古墳」の項目で、「墳丘長約70メートルの前方後円墳で、6世紀中頃の装飾古墳です。大正11年に国指定となりました。後円部の南側には複室構造の横穴式石室入口があります。 石室内部には赤・黄・青の3色を使った三角文や同心円文などの文様が描かれていますが、保護のため現在は閉鎖されています。出土した環頭大刀柄頭・人物埴輪などは岩戸山歴史文化交流館に展示されています。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「乗場古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 高5m 前方部:幅35m 高5m」と記されています。岩戸山古墳(ランキング102位)・石人山古墳(ランキング151位)などとともに、「八女古墳群」という名称で、国の史跡に再指定されています。
古墳は、筑後川の支流の広川の南の小丘陵上に立地しています。道路で後円部墳裾、住宅地で前方部端が削られていますが、墳丘は比較的良く残されています。上記のように、装飾古墳としても有名ですが後円部南側の横穴式石室入口には、保護施設が設置されておりおっさんのような一般人には開放されていません。また、約300m西に「筑紫君磐井」の墓と推定されている岩戸山古墳があり、乗場古墳の被葬者も「磐井」と何らかの関係がある人物と考えられています。
石柱。部分拡大。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部石室保護施設。
石室の装飾文様についての説明板2つ。

2つで前方部端全景。

前方部左隅から後円部。
以上2010年10月撮影。
案内板。
八女市教委の説明板。
前方部から後円部。
以上2013年10月撮影。
古墳は、筑後川の支流の広川の南の小丘陵上に立地しています。道路で後円部墳裾、住宅地で前方部端が削られていますが、墳丘は比較的良く残されています。上記のように、装飾古墳としても有名ですが後円部南側の横穴式石室入口には、保護施設が設置されておりおっさんのような一般人には開放されていません。また、約300m西に「筑紫君磐井」の墓と推定されている岩戸山古墳があり、乗場古墳の被葬者も「磐井」と何らかの関係がある人物と考えられています。
石柱。部分拡大。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部石室保護施設。
石室の装飾文様についての説明板2つ。
2つで前方部端全景。
前方部左隅から後円部。
案内板。
八女市教委の説明板。
前方部から後円部。
Posted by じこま at
08:08
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