2019年02月10日
1152 円満寺山古墳 岐阜県海津市 60m
海津市のHP.にある「海津市の文化財」の「円満寺山古墳」の項目で、「養老山地の東麓、庭田集落をとり囲んで北に延びる支丘上、標高96メートルの位置にある南向きの前方後円墳です。全長60メートル、後円部直径35メートル、高さ5メートル、前方部幅約19メートル、高さ1.5メートルあり、自然の丘陵に若干手を加えた程度であって、前方部の低い狭長な古墳時代前期様式を示しています。 昭和42年8月に発見され同年12月に発掘調査されました。石室は主軸に平行につくられた河原石積みの竪穴式石室で、長さ4.67メートル、幅0.9メートル~1.2メートルです。石室床面は平坦で、この上に木棺がおかれたようです。 副葬の遺物は鏡三面(三角縁波文帯三神二獣山炉鏡、三角縁唐草文帯天王日月二神二獣鏡、画文帯神獣鏡)、直刀3、剣2、槍1、鉄鏃5、鉄斧5、不明尖頭鉄器1で玉類や石製品を含んでいません。」と記されています。海津市の史跡に指定されています。
広大な「圓(円)満寺霊園」の裏山の山頂付近に立地しています。霊園から古墳に向かう山道があるそうですが、見つけられずひたすら山頂をめざして道なき道を進み、ようやくたどり着くことが出来ました。説明板によると、水道施設設置の際に石室が発見されたとあり、後円部にはコンクリート製の構築物が見られました。また、墳丘上は山肌がむき出しの状態でした。この様子は、大阪府岸和田市の久米田貝吹山古墳(ランキング110位)に近いものを感じました。
海津市教委の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。

後円部石室跡。
ほぼ全景。右が前方部、左が後円部。
遠景。東から。
以上2014年4月撮影。
広大な「圓(円)満寺霊園」の裏山の山頂付近に立地しています。霊園から古墳に向かう山道があるそうですが、見つけられずひたすら山頂をめざして道なき道を進み、ようやくたどり着くことが出来ました。説明板によると、水道施設設置の際に石室が発見されたとあり、後円部にはコンクリート製の構築物が見られました。また、墳丘上は山肌がむき出しの状態でした。この様子は、大阪府岸和田市の久米田貝吹山古墳(ランキング110位)に近いものを感じました。
海津市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。
後円部石室跡。
ほぼ全景。右が前方部、左が後円部。
遠景。東から。
Posted by じこま at
10:10
│Comments(0)
2019年02月10日
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「名越古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径35m 高6m 前方部:幅20m 長26m」と記されています。
古墳は、安楽川の北岸の河岸段丘上に立地しています。墳丘の後円部端は道路で削られ、その部分がカーブしています。後円部の中央付近から前方部にかけてもかなり削られており、改変が著しいです。
約400m西に、日本武尊の「白鳥墓」として著名な能褒野王塚古墳(ランキング400位)があります。
後円部右側。左側。

前方部残存部。
後円部墳頂。
後円部端全景。北から。
全景。中央が後円部、右奥が前方部残存部。西から。
以上2014年5月撮影。
古墳は、安楽川の北岸の河岸段丘上に立地しています。墳丘の後円部端は道路で削られ、その部分がカーブしています。後円部の中央付近から前方部にかけてもかなり削られており、改変が著しいです。
約400m西に、日本武尊の「白鳥墓」として著名な能褒野王塚古墳(ランキング400位)があります。
後円部右側。左側。
前方部残存部。
後円部墳頂。
後円部端全景。北から。
全景。中央が後円部、右奥が前方部残存部。西から。
Posted by じこま at
09:09
│Comments(4)
2019年02月10日
1150 長泉寺裏山古墳 宮城県角田市 60m
「675 長泉寺4号墳(長泉寺裏山)古墳」(2018年07月20日のブログ)の項目で書いたので詳細は省きますが、結論だけを述べると「長泉寺4号墳」と「長泉寺裏山古墳」とは同一の古墳とおっさんは考えています。したがって、上記の項目と同一(ただし、2017年4月撮影のみ)の絵を載せます。違っているかもしれませんが、ご了承ください。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部墳頂。
全景。右手前が前方部、左奥が後円部。北から。
以上2017年4月撮影。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。
全景。右手前が前方部、左奥が後円部。北から。
Posted by じこま at
08:08
│Comments(0)