2018年07月28日

698 天塚古墳 京都府京都市 73(71)m

 京都市埋蔵文化財研究所「太秦・嵯峨野地域の遺跡2」の「表2 主な古墳・古墳群」の中で、天塚古墳を「規模・現状 全長71m・史跡」と記しています。国指定の史跡となっています。
 古墳の南側には、巨大な自動車工場がありここからは行けません。北側から攻めるしかありませんが、住宅地が建てこんでいて迷路のようで、古墳への入口を見つけるのにひと苦労しました。おまけに、道幅も狭いので自動車で墳丘付近に向かうのはNGです。後円部の西側は、住宅地で削られ、墳頂にも大きな穴があります。墳丘上には、祠や人工物が置かれ遺存状態はよくありません。後円部とくびれ部に横穴式石室があるそうですが、くびれ部の石室しか気づきませんでした。「どいかん」。
 約100m北に清水山古墳(墳長60mほどの前方後円墳)がありましたが、消滅しています。現在は跡地に小さな石柱が残っているのみです。

 京都市の説明板。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部隅から前方部隅。


 くびれ部石室入口。


 全景。右が後円部、左が前方部。東から。
            以上2016年5月撮影。


 くびれ部石室入口。石室内部。


 全景。右が後円部、左が前方部。
              以上2012年9月撮影。  


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2018年07月28日

697 正円寺古墳(堀之下二子塚古墳) 群馬県前橋市 73(65)m

 前橋市教育委員会の「芳賀・桂萱の文化財めぐり」の「⑯正円寺古墳 堀之下町字二子塚380、380-1」の項目で、「この古墳は、桂萱東小の南西にある全長65mの前方後円墳です。周堀がめぐらされており、南側は正円寺の本堂と庫裏が建てられています。後円部には横穴式の両袖型石室があり、くびれ部の頂上には、竪穴式の石槨が造られている6世紀前半の古墳です。」と記されています。
 正円寺の北側の裏山のような存在が古墳です。後円部の南側の一部は寺院で削られ、前方部の西端から南側は墓地がせまっていますが、北側からは大きな墳丘を見ることができます。後円部墳頂には、祠が祀られています。

 「正圓寺」の説明板。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。


 全景。右が前方部、左が後円部。北西から。
            以上2014年12月撮影。  


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2018年07月27日

696 下台原古墳(下台原12号墳) 栃木県鹿沼市 73m

 草木が茂っている小道を通りすぎると、美しい姿の墳丘が見えてきます。まるで、異次元に迷い込んだ錯覚すら感じます。後円部墳頂に盗掘抗らしき窪みがありますが、これだけの規模の古墳がほとんど無傷で残されたことに感謝したいです。あまり有名な古墳ではありませんが、一度は訪れてみたい古墳のひとつです。古墳は、宇都宮鹿沼道路(さつきロード)の料金所のすぐ南側に位置しています。ただし、自動車で直接墳丘まで行くのは無理です。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「下台原古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 築成:前方部2段、後円部2段 墳長:73m 後円部:径47m 高5m 前方部:幅58m 長33.7m 高5m」と記されています。

 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部墳頂。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北西から。


 ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。
            以上2015年1月撮影。  


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2018年07月27日

695 木の岡本塚(木の岡丸山)古墳 滋賀県大津市 73m

 宮内庁が「下坂本陵墓参考地」として管理している古墳です。そのため、墳丘には立ち入ることはできませんが、前方部の短い帆立貝形前方後円墳と考えられています。琵琶湖の西岸を通る国道161号線、その東側にある高台の最高地点に位置しています。約300m南に木の岡茶臼山古墳(ランキング513位)があり、数基の円墳とともに木の岡古墳群を構成しています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「木ノ岡本塚古墳(下坂本陵墓参考地)」の項目で、「墳丘  形状:前方後円(帆立貝形) 築成:前方部:1段、後円部:2段 墳長:73m 後円部:径55m 高10m 前方部:幅38m 長20m 高1.5m(中略)特記事項  【周濠】あり。【その他】前方部はやや不自然。陵墓による変形が考えられる。」と記されています。

 石柱。立札(制札)。

 下阪本学区まちづくり推進協議会の説明板。


 近景。南西から。


 ほぼ全景。南西から。
            以上2014年6月撮影。  


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2018年07月27日

694 青山古墳(青山1号墳) 大阪府藤井寺市 円墳 73(72 径65・62)m

 藤井寺市のHP.の「青山古墳」の項目で、「青山古墳は、市域の南部、青山2丁目の住宅地の中にあります。径65メートルの円墳で、墳丘の南西部分には、造出しと呼ばれる、幅25メートル、長さ17メートルの方形の突出をもっています。」と記されています。また、HP.「世界文化遺産を大阪に 百舌鳥・古市古墳群」の「百舌鳥・古市古墳群リスト(古市エリア)」の項目で、「F22 青山古墳」として、「墓山古墳の西側に位置する円墳。墳丘径62mの円形の墳丘に造り出しが付き、全体の長さは72m、高さは10mである。」と記されています。
 上記のように市街地の中にありますが、保存状態の良い古墳です。周囲を濠やフェンスで囲まれており、立ち入りはできません。2001年に、「古市古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。

 藤井寺市・藤井寺市教委の説明板。


 ほぼ全景。南から。


 全景。東から。
            以上2014年1月撮影。  


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2018年07月27日

693 大日山35号墳 和歌山県和歌山市 73(86)m

 国の特別史跡「岩橋千塚古墳群」を構成する古墳のひとつです。HP.「和歌山市の文化財」の「和歌山市の文化財・遺跡」の項目で、「大日山35号墳」として「岩橋千塚古墳群中の前方後円墳で、岩橋山地の西端、標高141mの大日山山頂に位置します。平成15年(2003)度以降の整備事業に伴う発掘調査により、墳丘は三段築成で最下段は全長約105mの盾形の基壇で、その上に二段構成で墳長約86mの前方後円形の墳丘を構築していることが判明しました。後円部には、石棚をもつ岩橋型と呼ばれる横穴式石室が築かれています。くびれ部の東西の造り出しからは、調査により多量の形象埴輪が出土しました。」と記されています。出土した埴輪群や須恵器群は、2016年に国の重要文化財に指定されています。
 おっさんは、大量に発見された形象埴輪群の中で、力士埴輪と鳥形埴輪に興味があります。力士埴輪といえば、谷を隔てて約800m南西の井辺八幡山古墳(ランキング448位)出土品が有名ですが、同じ地域の最大級の古墳から発見されている共通点があると思いました。また、鳥形埴輪は発見当初、ムササビ形埴輪と言われていたように記憶していますが、現在は「翼を広げて飛翔する鳥形埴輪」と言われています。丹野拓さんは、「岩橋山塊にあるもう一つの同時期の大型前方後円墳・井辺八幡山古墳では、飛ぶ鳥の埴輪は出土していないが、同じ顔をした小型の鳥形埴輪片が出土している。鷹狩をする人物埴輪の腕にとまる鷹形の部分だ。頭の形は大日山三五号墳出土の鳥とそっくりである。つまり、翼を広げた鳥形埴輪は鷹の埴輪なのだろう。」と述べています(丹野拓・米田文孝著『紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群』p.35)。ちなみに、本物のムササビの埴輪は、千葉県成田市の南羽鳥正福寺1号墳で発見されています。余談ですが、東造出の復元埴輪群は、地元の人々が製作したそうです。「どすごい」。 
 

 和歌山県教委の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 石室。(説明板。入口。石材か?。)


 西造出。


 東造出。
            以上2015年10月撮影。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。後円部から前方部。
              以上2011年5月撮影。  


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2018年07月26日

692 カジヤ古墳 京都府京丹後市 円墳 径73(73×55)m

 消滅古墳です。説明板がなければ、ここに古墳があったと気づけません。古墳は、周辺から少し上った高台に位置していました。
 京丹後市のHP.の「デジタルミュージアムF32カジヤ古墳出土品」の項目で、「カジャ(おっさん註 ママ)古墳は峰山町大字杉谷小字カジヤに所在した古墳で、長径約73メートル、短径約55メートル、高さ約9メートルの楕円形の墳丘を持つ円墳であった。」と記されています。

 京丹後市教委の説明板。


 跡地。北東から。
            以上2014年5月撮影。  


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2018年07月26日

691 三郷村(みさとむら)31号墳 群馬県伊勢崎市 73m

 おっさんのブログのランキングの参考にさせていただいているHP.「古墳探訪」に掲載されている「三郷村31号墳」ですが、訪問した時に参考にした他の資料を見つけることができませんでした。「どいかん」。次の絵が、31号墳の跡地であるかは確信がありません。


 跡地付近?。南東から。


 跡地付近?南から。
            以上2014年12月撮影。


    追記(2020年8月11日)

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「三郷村91号墳〈綜覧〉」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:73.3m 特記事項【その他】墳丘湮滅。」と記されていました。また、HP.「古墳の森」の「安堀古墳(三郷村91号古墳)/御富士山南古墳群(安堀古墳群)」の項目で、「所在地 群馬県伊勢崎市安堀町1079」と記されており、掲載されている写真には墓地が写されており、ブロブの2枚目の絵にも墓地が撮られており、古墳の跡地の可能性が高いと思いました。  


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2018年07月26日

[690] 庭塚古墳 滋賀県守山市 74m

 HP.「大和國古墳墓取調室」の「滋賀県草津市・守山市の古墳」の項目で、「◆庭塚古墳 守山市金森町、山柿団地の西の水田の中にあります。現在は墳丘がかなり削られていますが、周囲の水田の調査で、本来は全長74mの前方後円墳と判明しました。出土した埴輪片から中期前半の築造と推定されています。」と記されています。
 この古墳は、前方部が削平されてその痕跡もありませんが、水田の中に後円部の残存部が残されています。

 後円部残存部全景。南東から。


 後円部残存部全景。南から。


 全景。右が後円部残存部、左が前方部跡。南から。
            以上2016年5月撮影。  


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2018年07月26日

690 下味野23号墳 鳥取県鳥取市 74m

 HP.「遺跡ウォーカーβ」の「下味野23号墳」の項目で、「〈立地〉尾根。標高160m、水田からの比高150m、造出なし、周濠後円部の一部を除いてあり、周庭なし、墳長約73.5m、後円径約40m・高約6m、前方幅約19.5m・高約2m、くびれ幅約16m、後前高差-4m、葺石なし、後円部に4等3角点あり。」と記されています。 
 墳丘にたどり着くのが、とても困難な古墳です。最初の訪問時は、途中でイノシシの親子連れを遠目に見ながら道なき道を登り、帰途は尾根をひとつ誤って下り駐車した方向がわからず大変でした。再訪時は、急斜面を這いつくばりながら登り、トゲトゲの草木と格闘しながら山頂の三角点をめざし、なんとかたどり着くことができました。

 後円部右側。左側。 

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 後円部墳頂の三角点。標識。


 後円部端近景。


 遠景2つ。北東から。北西から。
            以上2016年4月撮影。


 遠景。


 三角点。標識。


 前方部から後円部。
            以上2013年11月撮影。  


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