2018年07月26日
689 尾倉山古墳(豊前坊1号墳) 福岡県遠賀町 74m
HP.遠賀町バーチャル博物館の「史跡 [福岡県指定文化財]」の項目で、「豊前坊古墳群・経塚」として、「島津・丸山古墳群から4.5km南の丘陵上に所在し、2基の前方後円墳(1・3号墳)と1基の円墳(2号墳)で古墳群を形成します。1号墳は全長73.5m、3号墳は全長30mの小型の前方後円墳です。(中略)また、1号墳の墳丘上には12世紀前半ごろの経塚(仏教の経典を地中に埋納したもの)が5基造られています。」と記されています。この1号墳と3号墳、そして経塚が、福岡県の史跡に指定されています。
古墳は、山林の中で、なかなかわかりづらい場所にあります。古墳の西側の細い道を通り、水道局のフェンス沿いに歩いてしばらくすると、小高いところがあります。後円部墳頂と思われる部分に、「豊日別神社祭祠跡(豊前坊様)」と書かれた標柱がありました。古墳の説明板は、東側の県道55号線沿いにあり、そこが古墳への登り口になっているようです。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
遠景。南から。
以上2014年10月撮影。
追記
2020年2月28日のブログに、「追加689 豊前坊1号墳(尾倉山古墳)」として、新しい絵を掲載しています。
古墳は、山林の中で、なかなかわかりづらい場所にあります。古墳の西側の細い道を通り、水道局のフェンス沿いに歩いてしばらくすると、小高いところがあります。後円部墳頂と思われる部分に、「豊日別神社祭祠跡(豊前坊様)」と書かれた標柱がありました。古墳の説明板は、東側の県道55号線沿いにあり、そこが古墳への登り口になっているようです。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
遠景。南から。
追記
2020年2月28日のブログに、「追加689 豊前坊1号墳(尾倉山古墳)」として、新しい絵を掲載しています。
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08:04
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2018年07月25日
688 天神森古墳 山形県川西町 前方後方墳 74(76)m
川西町教育委員会の『天神森古墳 発掘調査報告書』では、「古墳の規模は、墳麓線の全部を確めたわけではないので、基底部で全長は75.58mとなった。一部推定値を含むが、後方部の長さ43.08m、前方部の長さ32.50m、後方部の幅51.05m、高さ4.26m、前方部の前端幅32.0m、高さ3.04mである。」(p.16)と述べられています。
後方部墳頂には、祠が祀られ、前方部の一部は通路として削られています。また、墳丘上部は削平されて平らで、高さはあまり感じられませんが、前方後方形であることは確認できます。前方部の西に大きな標柱が立っています。山形県の史跡に指定されています。
余談になりますが、古墳に隣接して図書館があり、館内には「遅筆堂文庫」と呼ばれるコーナーがあります。おっさん世代では、「ひょこりひょうたん島」でおなじみの脚本家の井上ひさしさんが、自分の蔵書を故郷に寄贈して開設されたコーナーだそうです。それにしても、井上さんらしいネーミングですね。余談の余談ですが、考古学者の森浩一さんも蔵書を愛知県の春日井市に寄贈しています。その名も「森浩一文庫」。直球一本槍です。
山形県教委・川西町教委の説明板。
後方部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。前方部から後方部。


後方部墳頂。
後方部端全景。
全景。右奥が後方部、左手前が前方部。西から。
以上2017年5月撮影。
遠景と大標柱。
後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

後方部端全景。
全景。右奥が後方部、左手前が前方部。
以上2012年6月撮影。
後方部墳頂には、祠が祀られ、前方部の一部は通路として削られています。また、墳丘上部は削平されて平らで、高さはあまり感じられませんが、前方後方形であることは確認できます。前方部の西に大きな標柱が立っています。山形県の史跡に指定されています。
余談になりますが、古墳に隣接して図書館があり、館内には「遅筆堂文庫」と呼ばれるコーナーがあります。おっさん世代では、「ひょこりひょうたん島」でおなじみの脚本家の井上ひさしさんが、自分の蔵書を故郷に寄贈して開設されたコーナーだそうです。それにしても、井上さんらしいネーミングですね。余談の余談ですが、考古学者の森浩一さんも蔵書を愛知県の春日井市に寄贈しています。その名も「森浩一文庫」。直球一本槍です。
山形県教委・川西町教委の説明板。
後方部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後方部。
後方部墳頂。
後方部端全景。
全景。右奥が後方部、左手前が前方部。西から。
遠景と大標柱。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
後方部端全景。
全景。右奥が後方部、左手前が前方部。
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09:12
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2018年07月25日
687 桃山古墳 茨城県小美玉市 74(53)m
奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「桃山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:74m 後円部:径34m」と記されています。一方、筑波大学考古学研究室の『柏崎窯跡群発掘調査報告 -古墳時代須恵器窯の調査ー』では、「とくに旧玉里村域(玉里台地)と旧霞ヶ浦町(出島半島)では、後期を通じて古墳の築造が続き、玉里台地では、権現山古墳の築造後、舟塚(72m)古墳をはじめとして滝台古墳(83.4m)、山田峰古墳(83.6m)、雷電山古墳(55.8m)、閑居台古墳(60m)、桃山古墳(53.3m)、愛宕塚古墳(59.5m以上)、大井戸古墳といった前方後円墳が密集する。」(p.3)と述べています。
古墳の墳裾東側は、道路で削られコンクリートで土留めされていますが、反対の西側は墳丘がよく残されています。南側の後円部端に説明板が立っています。
玉里村教委の説明板。
右が後円部、左奥が前方部。南西から。
手前が後円部、右奥が前方部。南東から。
以上2012年3月撮影。
追記
2019年7月24日のブログに、「追加687 桃山古墳」として新しい絵を掲載しています。
古墳の墳裾東側は、道路で削られコンクリートで土留めされていますが、反対の西側は墳丘がよく残されています。南側の後円部端に説明板が立っています。
玉里村教委の説明板。
右が後円部、左奥が前方部。南西から。
手前が後円部、右奥が前方部。南東から。
追記
2019年7月24日のブログに、「追加687 桃山古墳」として新しい絵を掲載しています。
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08:14
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2018年07月24日
686 とうかん山古墳 埼玉県熊谷市 74(75)m
HP.熊谷市文化財日記の「とうかん山古墳[古墳時代]」の項目で、「とうかん山古墳は、墳丘周囲の改変がみられ周溝も埋没していますが、市内最大の前方後円墳です。後円部直径37m、前方部長38m、全長75m。前方部は幅42mと大きく開きます。埼玉古墳群中の同時期の瓦塚古墳の規模に匹敵します。墳丘は、後円部で高6.2m。採取された埴輪から6世紀後半代の築造で、横穴式石室を埋葬主体部に持つと推定されています。」と記されています。
上記HP.にあるように、墳丘の改変があり、前方部墳頂に祠も祀られています。埼玉県の史跡に指定されています。
埼玉県教委・熊谷市教委の説明板。
後円部近景。
右の家の奥が前方部、左が後円部の一部。
前方部端全景。
以上2012年10月撮影。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部から前方部。
前方部墳頂。
前方部端全景。
以上2011年10月撮影。
追記
2019年8月12日のブログに、「追加686 とうかん山古墳」として、新しい絵を掲載しています。
上記HP.にあるように、墳丘の改変があり、前方部墳頂に祠も祀られています。埼玉県の史跡に指定されています。
埼玉県教委・熊谷市教委の説明板。
後円部近景。
右の家の奥が前方部、左が後円部の一部。
前方部端全景。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部から前方部。
前方部墳頂。
前方部端全景。
追記
2019年8月12日のブログに、「追加686 とうかん山古墳」として、新しい絵を掲載しています。
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10:18
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2018年07月24日
685 味美春日山古墳 愛知県春日井市 74(72)m
春日井市のHP.の「郷土誌春日井 第66号」の項目の「県史跡白山神社古墳発掘調査」で、「白山神社古墳(春日井市二子町)は、墳長84メートルを測る前方後円墳で、昭和58年に近在する御旅所古墳(円墳・径31メートル)と共に愛知県の史跡に指定されています。周辺には国史跡の二子山古墳(前方後円墳・墳長94メートル)・春日山古墳(前方後円墳・墳長72メートル)があり、合わせて3基の前方後円墳と1基の円墳が現存し、この地にかつて「味美」(春日井市二子町他)から「味鋺」(名古屋市北区)にかけて存在した古墳を「味美古墳群」と総称しています。」と記されています。
古墳は、味美古墳群に属し、味美白山神社古墳(ランキング468位)や味美二子山古墳(ランキング288位)のある二子山公園から約400m北西の春日山公園内にあります。ただし、墳丘上にベンチや遊具等があり、史跡公園というよりも児童公園という造作で、おっさん的にはせめて遊具は墳丘外に設置してほしかったです。「残念だらー」。
石柱。

後円部から前方部。
近景。左手前が後円部、右奥が前方部。
前方部端全景。北西から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2016年11月撮影。
後円部右側。左側。

前方部右側、左側。
以上2013年6月撮影。
古墳は、味美古墳群に属し、味美白山神社古墳(ランキング468位)や味美二子山古墳(ランキング288位)のある二子山公園から約400m北西の春日山公園内にあります。ただし、墳丘上にベンチや遊具等があり、史跡公園というよりも児童公園という造作で、おっさん的にはせめて遊具は墳丘外に設置してほしかったです。「残念だらー」。
石柱。
後円部から前方部。
近景。左手前が後円部、右奥が前方部。
前方部端全景。北西から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
後円部右側。左側。
前方部右側、左側。
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08:11
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2018年07月23日
684 若狭西塚古墳 福井県若狭町 74m
HP.福井の文化財の「西塚古墳」の項目で、「脇袋古墳群の西端に位置し、主軸を南北方向にとり、前方部を南に向けた前方後円墳である。現在は、後円部だけが現存する。前方部は大正5年鉄道小浜線建設に伴って削られた。平成3年度の調査結果から、墳丘長約74m、後円部径約39m、前方部幅約47mの規模の古墳である。古墳は盾形の周濠をもち、三段に築造されている。」と記されています。
「脇袋古墳群」を構成する古墳のひとつで国の史跡に指定されています。群中では、上之塚古墳(ランキング305位)に次ぐ規模の古墳です。古墳の前方部はわずかな高まりが残されているだけで、後円部も墳裾部分が削平されており、築造当時の姿はうかがえません。
石柱2つ。
「風化して見えんじゃん」。
「暗くて見えんじゃん」。
前方部残存部から後円部残存部。南から。
全景。右が後円部残存部、左が前方部残存部。南東から。
全景(横から)。右が後円部残存部、左が前方部残存部。東から。
以上2015年3月撮影。
説明板。
後円部残存部。
後円部残存部墳頂。
後円部残存部から前方部残存部。
前方部残存部から後円部残存部。
以上2010年8月撮影。
「脇袋古墳群」を構成する古墳のひとつで国の史跡に指定されています。群中では、上之塚古墳(ランキング305位)に次ぐ規模の古墳です。古墳の前方部はわずかな高まりが残されているだけで、後円部も墳裾部分が削平されており、築造当時の姿はうかがえません。
石柱2つ。
前方部残存部から後円部残存部。南から。
全景。右が後円部残存部、左が前方部残存部。南東から。
全景(横から)。右が後円部残存部、左が前方部残存部。東から。
説明板。
後円部残存部。
後円部残存部墳頂。
後円部残存部から前方部残存部。
前方部残存部から後円部残存部。
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09:23
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2018年07月23日
683 日岡(日ノ岡)古墳 福岡県うきは市 74m
うきは市のHP.の「若宮古墳群(日岡・月岡・塚堂古墳)」の項目で、「日岡古墳(国指定史跡)昭和3年2月7日国指定史跡」として「日岡古墳は若宮八幡宮境内の東にある、古墳時代後期に造られた全長約74メートルの前方後円墳で、一重の周濠が巡っています。後円部にある横穴式石室の壁全体に様々な文様が描かれており、壁画系の装飾古墳の中で古いタイプのものです。」と記されています。前記のように、古墳は国の史跡に指定されています。また。約150m西の月岡古墳(ランキング355位)や約500m北東の塚堂古墳(ランキング380位)とともに、「若宮古墳群」を構成しています。
古墳は、前方部や後円部に鳥居や祠があり、墳丘上部は削平されて改変がすすんでいます。後円部墳頂には、天井石がなくなった装飾のある石室を保護するための施設(覆屋)が設置されています。
石柱。うきは市教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂の覆屋(石室保護施設)。
覆屋にある文化財保護委員会の説明板。
全景。右が前方部、左が後円部。北西から。 続きを読む
古墳は、前方部や後円部に鳥居や祠があり、墳丘上部は削平されて改変がすすんでいます。後円部墳頂には、天井石がなくなった装飾のある石室を保護するための施設(覆屋)が設置されています。
石柱。うきは市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂の覆屋(石室保護施設)。
覆屋にある文化財保護委員会の説明板。
全景。右が前方部、左が後円部。北西から。 続きを読む
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08:05
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2018年07月22日
682 八雷古墳 福岡県行橋市 74m
行橋市のHP.の「八雷古墳(はちらいこふん)」の項目で、「市内西部、観音山(標高232m)から東に伸びた長木地区の丘陵の上に、日本神話に現れる八柱の雷神を祀った八雷神社が鎮座しています。社殿の後ろの高まりが八雷古墳で、社殿に向かって右側が後円部、左側が前方部です。墳丘は市内の古墳で最大の長さ74mで、周囲には濠と周堤がめぐり、周堤まで含めると全長は100mに及びます。前方部が極端な裾広がりで、幅76mと長さよりも幅が広い独特な形をしています。」と記されています。
八雷神社の境内に古墳はあります。墳丘の東側くびれ部に社殿が建立され、改変されています。行橋市の史跡に指定されています。
行橋市教委の説明板。
2つでやや全景(横から)。後円部の一部。前方部の一部。

後円部墳頂。
全景。右が後円部、左が前方部。東から。
遠景。南東から。
以上2014年10月撮影。
追記
2020年2月29日のブログに、「追加682 八雷古墳」として、新しい絵を掲載しています。
八雷神社の境内に古墳はあります。墳丘の東側くびれ部に社殿が建立され、改変されています。行橋市の史跡に指定されています。
行橋市教委の説明板。
2つでやや全景(横から)。後円部の一部。前方部の一部。
後円部墳頂。
全景。右が後円部、左が前方部。東から。
遠景。南東から。
追記
2020年2月29日のブログに、「追加682 八雷古墳」として、新しい絵を掲載しています。
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09:10
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2018年07月22日
681 マバカ古墳 奈良県天理市 74m
奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「マバカ古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:74m 後円部:径44m 前方部:幅27m」と記しています。
マバカ古墳は、出現期の大型古墳が多数存在する大和古墳群の萱生支群に属しています。古墳は、市道で前方部と後円部が分断され、墳丘上は果樹園となっており、著しく改変されています。
説明板。
後円部近景2つ。

近景。右が後円部の一部、左が前方部の一部。南から。
ほぼ全景。右手前が前方部、左奥が後円部。西から。
以上2013年9月撮影。
追記
2022年2月4日のブログに、新しい絵を掲載しています。
マバカ古墳は、出現期の大型古墳が多数存在する大和古墳群の萱生支群に属しています。古墳は、市道で前方部と後円部が分断され、墳丘上は果樹園となっており、著しく改変されています。
説明板。
後円部近景2つ。
近景。右が後円部の一部、左が前方部の一部。南から。
ほぼ全景。右手前が前方部、左奥が後円部。西から。
追記
2022年2月4日のブログに、新しい絵を掲載しています。
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08:04
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2018年07月21日
680 御鷲山(おわしやま)古墳 栃木県下野市 74m
HP.「しもつけ市の文化財バーチャルミュージアム」の「下野市の文化財」の項目の「御鷲山古墳」で、「御鷲山古墳は、田川西岸の台地上、下野薬師寺跡の北側にある前方後円墳です。前方部を西に向け2段に築造され、墳丘の全長は約74mです。埋葬施設はくびれ部の前方部よりに、南に開口する両袖型の横穴式石室が設置されています。石室は凝灰岩の切石を用いた複室構造です。」と記されています。
墳丘の南側が住宅地や牛舎でかなり削平され、前方部端も墓石が立っていますが、大きな墳丘は残っています。ただ、横穴式石室は開口していますが、隣接して牛舎があるため、アイコンタクトで牛さんの許可が必要になってきます。訪問時、墳丘上は草木が茂り墳形はよくわかりませんでした。栃木県の史跡に指定されています。
約3km東に、三王山古墳(ランキング490位)、約3km北に下石橋愛宕塚古墳跡(ランキング536位)があります。
下野市教委の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

石室入口。
前方部左隅から後円部。西から
やや全景。右が前方部、左が後円部)北から。
全景。左手前が前方不、右奥後円部。南西から。
以上2017年3月撮影。
墳丘の南側が住宅地や牛舎でかなり削平され、前方部端も墓石が立っていますが、大きな墳丘は残っています。ただ、横穴式石室は開口していますが、隣接して牛舎があるため、アイコンタクトで牛さんの許可が必要になってきます。訪問時、墳丘上は草木が茂り墳形はよくわかりませんでした。栃木県の史跡に指定されています。
約3km東に、三王山古墳(ランキング490位)、約3km北に下石橋愛宕塚古墳跡(ランキング536位)があります。
下野市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
石室入口。
前方部左隅から後円部。西から
やや全景。右が前方部、左が後円部)北から。
全景。左手前が前方不、右奥後円部。南西から。
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