2018年08月05日

713 小田中亀塚古墳 石川県中能登町 前方後方墳 72(62)m

 土屋隆史・加藤一郎さんは、「今回の墳丘調査の結果、現状において飛地い号(おっさん註 小田中亀塚古墳のこと)は墳長約62mで段築のない前方後方墳であり、その築造にあたっては主に東側や南側を中心にして周辺地形を改変して周溝を形成していた可能性のあることがわかった。また、北側くびれ部では造出となる可能性もある台形状のわずかな高まりを確認することができた。」(清喜裕二他著『大入杵命墓の墳丘外形調査および出土品調査報告』p.15)と述べています。
 この古墳は、宮内庁が「大入杵命墓 飛地い号」として管理しています。約40m南東にある円墳の小田中親王塚古墳が、「大入杵命墓」と治定され、小田中古墳群を構成しています。亀塚古墳は、前方後方墳として美しい姿をみせています。
 能登半島中部には邑知地溝帯とよばれる断層があります。古代においては、古墳が築造された付近まで海が入り込む潟があり、海上交通の要衝であったと考えられています。

 標柱。


 後方部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後方部。
            以上2014年6月撮影。


 標柱。


 後方部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。
              以上2010年5月撮影。  


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2018年08月05日

712 沢野村74号墳 群馬県太田市 72m

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「沢野村74号墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円(帆立貝形) 墳長:72m 後円部:径45m 高7.2m 前方部:幅11m 長18m 高1.2m」と記されています。
 資料を見る限りでは、高林古墳群の中では、朝子塚古墳(ランキング134位)に次ぐ規模の古墳です。ただし、実際に訪問してみるとデータよりかなり小さく感じます。削平されているのでしょうか。

 墳丘。西から。


 墳丘。南から。
            以上2015年1月撮影。  


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2018年08月05日

711 新居里古墳 東京都大田区 72m

 奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「新居里古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 築成:後円部:2段 墳長:72m 後円部:径45m 高現存5m 前方部:幅17以上 長27m  特記事項【その他】後円部と前方部は道路・庭で分断され、円墳2基(西岡31号墳・32号墳)とされていた。」と記されています。
 おっさん世代にとって、特別なヒビキを感じる「田園調布」。そのお屋敷が立ち並ぶ高台に立地しています。上記のように、当初2基の円墳と考えられていたようですが、現在は1基の前方後円墳と想定されています。墳丘は、お屋敷のお庭になっているということですが、おっさんのような下層階級の人間の立ち入りは、はばかられ遠くから眺めるだけでした。          
 約400m南東に宝莱山古墳(ランキング307位)があります。
 

 後円部端(旧西岡31号墳)全景か?。北から。
            大田区田園調布5丁目3付近。

 前方部の一部(旧西岡32号墳)か?。南東から。
            大田区田園調布5丁目2-6付近        以上2015年6月撮影。
           
  


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