2018年08月04日
710 小池大塚古墳(船塚2号墳) 千葉県芝山町 72(76)m
栗田則久・木島桂子さんは、「中台古墳群の北側の小さな支谷を挟んで立地する船塚古墳群中の最大の前方後円墳である芝山町小池大塚古墳は、東西に主軸を置く全長72mの規模を誇る。前方部が大きく開く平面形で、二段築成の可能性が指摘されている。周溝は一重の盾形を呈する。」(『古代の上総北東部 ー古墳時代後期からの集落と古墳の動向ー』p.168)と述べています。また、青木弘さんは、「高田2号墳が築造された6世紀の九十九里地域では、爆発的に古墳の築造が増加する。(中略)代表的な前方後円墳としては、大堤権現塚古墳(117m)・御前鬼塚古墳(105m)・西ノ台古墳(90m)・殿塚古墳(88m)・小池大塚古墳(76m)・朝日の岡古墳(76m)・北条塚古墳(74m)が挙げられる。」(城倉正祥・久保田慎二・金田明大と共著『千葉県芝山町高田2号墳の測量調査』p.33)と述べています。
最初の訪問時、カーナビの知識が乏しかったために、上下に交差した道路の下道に行きたかったにもかかわらず、上道で止まってしまうので迷ってしまい、墳丘にたどり着いたときは日も暮れ、絵は「まっくろくろすけ」でした。再訪時は、山中で迷ってしまい、なかなか墳丘が見つけられない発見困難古墳でした。
小さな谷をはさんで約400m南東に、中台(芝山)古墳群の殿塚古墳(ランキング441位)・姫塚古墳があります。ただし、自動車では大回りしないとたどり着けません。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。

「わからんじゃん」。
後円部墳頂。
以上2016年11月撮影。
遠景。南から。
2015年6月撮影。
最初の訪問時、カーナビの知識が乏しかったために、上下に交差した道路の下道に行きたかったにもかかわらず、上道で止まってしまうので迷ってしまい、墳丘にたどり着いたときは日も暮れ、絵は「まっくろくろすけ」でした。再訪時は、山中で迷ってしまい、なかなか墳丘が見つけられない発見困難古墳でした。
小さな谷をはさんで約400m南東に、中台(芝山)古墳群の殿塚古墳(ランキング441位)・姫塚古墳があります。ただし、自動車では大回りしないとたどり着けません。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
遠景。南から。
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21:06
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2018年08月04日
709 王山古墳 群馬県前橋市 72(76)m
前橋市のHP.の「総社・清里の文化財を訪ねて」の項目の「王山古墳(市指定史跡)」で、「○全長75.6m 前方部 幅63.1m、高さ3.9m後円部 径50m、高さ4.5m ○古墳時代(6世紀初頭)の築造と推定」と記されています。前橋市の史跡に指定されています。
この古墳は、当初積石塚の円墳として築造され、後に前方部を造ったと推定されているそうです。後円部の一部に、積石の様子が見える施設があります。ただし、石柱や説明板がなければ古墳とは気づきません。遊具や東屋のある「王山公園」として市民の憩いの場となっています。その筋の人にとっては、・・・ですが。
この王山古墳は、前方後円墳の前橋(総社)二子山古墳(ランキング432位)・遠見山古墳や方墳の愛宕山古墳・宝塔山古墳・蛇穴山古墳とともに総社古墳群を構成しています。「古墳県」群馬の地で、前方後円墳の築造が終了しても、この総社古墳群のある地域のみが大型方墳を築造し続けていくのです。このことは、後に上野国の国府が古墳群の近接地に置かれることと無関係ではないと思われます。
石柱。前橋市教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


積石の様子。
前方部右隅から後円部。
以上2014年12月撮影。
この古墳は、当初積石塚の円墳として築造され、後に前方部を造ったと推定されているそうです。後円部の一部に、積石の様子が見える施設があります。ただし、石柱や説明板がなければ古墳とは気づきません。遊具や東屋のある「王山公園」として市民の憩いの場となっています。その筋の人にとっては、・・・ですが。
この王山古墳は、前方後円墳の前橋(総社)二子山古墳(ランキング432位)・遠見山古墳や方墳の愛宕山古墳・宝塔山古墳・蛇穴山古墳とともに総社古墳群を構成しています。「古墳県」群馬の地で、前方後円墳の築造が終了しても、この総社古墳群のある地域のみが大型方墳を築造し続けていくのです。このことは、後に上野国の国府が古墳群の近接地に置かれることと無関係ではないと思われます。
石柱。前橋市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
積石の様子。
前方部右隅から後円部。
Posted by じこま at
09:29
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2018年08月04日
708 和邇大塚山古墳 滋賀県大津市 72m
HP.大津市歴史博物館の中の「大津市の歴史データベース」の「和邇大塚山古墳」の項目で、「標高185.8mの曼荼羅山の山頂北側に築かれた全長72m、後円部径50mの前方後円墳で、眼下に小野地域を一望する。明治40年(1907)に地元の住民によって発見され、後円部から鏡や勾玉、刀剣、甲冑、土器などの大量の副葬品が発見された。築造年代は、古墳時代前期の半ばから後半と推定されている。」と記しています。
古墳の東方にある「朝日二丁目集会所」に隣接している朝日緑地公園を入口として古墳に向かいました。山道なので、甘くみると上りはつらいです。山頂付近には、いくつかの円墳とみられる高まりや開口している石室があります。後円部の墳頂には、三級水準点を示す丸い標識がありますが、盗掘抗と思われる大きな穴もみられます。訪問時は、草木で墳丘の形ははわかりにくかったですが、その大きさは十分感じられました。
再訪時、古墳の西方には発掘調査中と思われる地点がありました。後日確認すると、曼荼羅山古墳群であることがわかりました。ただし、その後破壊されて現在は住宅地になっています。ただし、隣接する1基のみが真野北古墳公園として保存されているそうです。
石柱。志賀町教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
後円部端近景。
大塚山古墳付近から曼荼羅山古墳群を見る。
以上2014年6月撮影。
後円部墳頂の三級水準点。
後円部墳頂の盗掘抗か?。
以上2010年7月撮影。
古墳の東方にある「朝日二丁目集会所」に隣接している朝日緑地公園を入口として古墳に向かいました。山道なので、甘くみると上りはつらいです。山頂付近には、いくつかの円墳とみられる高まりや開口している石室があります。後円部の墳頂には、三級水準点を示す丸い標識がありますが、盗掘抗と思われる大きな穴もみられます。訪問時は、草木で墳丘の形ははわかりにくかったですが、その大きさは十分感じられました。
再訪時、古墳の西方には発掘調査中と思われる地点がありました。後日確認すると、曼荼羅山古墳群であることがわかりました。ただし、その後破壊されて現在は住宅地になっています。ただし、隣接する1基のみが真野北古墳公園として保存されているそうです。
石柱。志賀町教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部端近景。
大塚山古墳付近から曼荼羅山古墳群を見る。
後円部墳頂の三級水準点。
後円部墳頂の盗掘抗か?。
Posted by じこま at
07:44
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