2018年08月20日

757 藤山甲塚古墳 福岡県久留米市 70m

 HP.「遺跡ウォーカーβ」の「藤山甲塚古墳」の項目で、「集成、古墳(前方後円墳(帆立貝式))。〈立地〉丘陵上。標高51m、丘陵裾からの比高20m、後円部3段、方位N72度W,造出なし、周濠なし、墳長70m、後円径57m・高7m、前方幅22m・長13m・高2m、くびれ幅18m」と記されています。            
 丘陵上に位置する帆立貝形前方後円墳です。訪問時、丘陵の途中まで車で入り、斜面を這いつくばって墳丘上にたどり着きました。しかし、道路からは階段があり容易に上れました。「しっかり確認しりん」。後円部墳頂にはくぼ地があり盗掘抗跡と思いましたが、資料によると埋め戻した石室上部のようです。

 久留米市文化観光部文化財保護課の説明板。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂石室上部。


 後円部墳頂付近2つ。


 全景。手前が前方部、奥が後円部。西から。
            以上2014年6月撮影。  


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2018年08月20日

756 田中王塚古墳 滋賀県高島市 70(58)m

 「安曇陵墓参考地」として宮内庁が管理しています。外池昇さんは、「昭和二十四年十月『陵墓参考地一覧』は、「該当御方」として応神天皇玄孫宇非王王子彦主人(ひこうし)王継体天皇御父を充てる。考証意見としては第一類、つまり陵墓の疑いが濃いものとされ、(中略)昭和三十二年八月の類別改定でも第一類、つまり陵墓の疑いの濃いものに分類された。」(『辞典 陵墓参考地』p.126)と述べています。つまり、宮内庁は、この古墳の被葬者を継体天皇の父親の可能性が高いと考えているということです。ただし、その見解は、学問的に証明されたものではありません。
 墳丘に至るまでは、左右に林立する参道のような木々の間を通っていきます。ここは、古の世界にタイムスリップしたような感覚におそわれる不思議な場所です。古墳の周辺には、陪冢のような円墳が3基あります。
 滋賀県埋蔵文化財センターの「滋賀埋文ニュース 第334号」によると、「田中古墳群は、田中神社の北側丘陵一帯の泰山寺野(たいさんじの)台地の東端部に分布する古墳群です。昭和45年の滋賀県教育委員会の分布調査により43基の古墳が確認されています。古墳群のほぼ中央には、直径約58m・高さ約10mの2段築成の帆立貝形を呈する田中王塚古墳が位置しています。その築造時期は、墳丘形態や表面採集された埴輪片などから5世紀後半と考えられています。現在は、周囲の古墳3基とともに、継体天皇の父『彦主人王(ひこうしおう)』の陵墓参考地として宮内庁の管理下にあります。」と記されています。

 説明板2つ。前者は安曇川町。後者は高島市教委。

 立札(制札)。



 前方部全景。


 前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 後円部端近景。


 近景(横から)。右が後円部の一部、左が前方部。


 遠景。中央奥が前方部。南西から。
            以上2014年6月撮影。  


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