2018年08月12日

733 銭塚古墳 大阪府堺市 71(74)m

 大阪府教育委員会『銭塚古墳 -大阪府立堺支援学校福祉整備事業に伴う発掘調査ー』によると、「以上により、銭塚古墳の規模を復元すると全長74m、後円部径54mの前方部の比較的短い前方後円墳となる。」(p.29)と記されています。
 古墳は、府立堺支援学校の敷地内にあり、訪問時は休日で敷地内には立ち入れませんでした。前方部が削平され、現状は楕円形のような墳形に見えます。2014年に「百舌鳥古墳群」のひとつとして、国の史跡に指定されています。約500m北に大仙(山)古墳(ランキング1位)、約400m西に石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)、約400m東に百舌鳥御廟山古墳(ランキング49位)があり、巨大古墳に囲まれた場所に位置しています。

 後円部残存部。南東から。
            2014年6月撮影。  


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2018年08月12日

732 風吹山古墳 大阪府岸和田市 71m

 岸和田市のHP.の「久米田古墳群」の項目で、「風吹山古墳(かぜふきやまこふん)」として、「全長約71m、円墳部径約59mの古墳で、古墳を上から見た形が帆立貝に似ていることから、帆立貝形古墳と呼ばれています。発掘調査により、墳丘の形状の改築と馬蹄形の周濠があったことがわかりました。」と記されています。岸和田市の史跡に指定されています。
 墳形は、上記のように帆立貝形前方後円墳ですが、南側に造り出しを持つ「造出付帆立貝形前方後円墳」です。古墳は整備されて、久米田公園内にあります。約100m北東に貝吹山古墳(ランキング110位)があり、久米田古墳群を構成しています。また、約2km東に摩湯山古墳(ランキング34位)があります。

 後円部右側。左側。

 前方部。


 後円部墳頂。


 ほぼ全景。南西から。
            以上2014年6月撮影。  


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2018年08月12日

731 月ノ輪古墳 岡山県美咲町 円墳 71(径59)m

 HP.「おかやまの文化財」の「月の輪古墳」の項目で、「5世紀初め頃に築造された直径59m、高さ9mの大型円墳。中腹に幅約1メートルの段が設けられ、北側裾に造出がある。」と記されています。ランキングの参考にさせてもらっている『古墳探訪』のデータとHP.「おかやまの文化財」の数値との違いは、造出部分を含めるか否かの違いのようです。古墳は、岡山県の史跡に指定されています。
 最初は、下調べが不十分で地図だけを頼りに訪問して大失敗しました。「棚原斎場」の職員の方に許可をいただき、駐車場に車を止めて、いざ「月の輪」へ。その際、職員の方の「行けないことはないけど・・・」という言葉の意味を理解できず、急斜面を上り尾根づたいにしばらく進んでいくと、月の輪まであと××kmという標識を見つけ、このペースでは日没までに駐車場に戻れないと判断し泣く泣く断念。しかし、帰途中偶然「月の輪古墳」の案内板を見つけ、それに従って山道を上っていくと古墳まで車で行けました。「あほじゃん。しっかり調べりん」。
 約100m北西に、円墳の釜の上古墳があります。ただ、こちらは整備されていないのでわかりづらいです。やはり、2番目では評価されないのでしょうか。
 余談になりますが、戦争直後の考古学の発掘調査と言えば、静岡県の「登呂遺跡」が有名ですが、この「月の輪古墳」も専門の研究者だけではなく地域の人々と学習活動を行いながら発掘調査を実施したことで学史的に著名です。発掘調査を主導した近藤義郎さんは、「こうして、後に国民的歴史学運動の貴重な実践として、もとよりそのような発掘になろうとは、当時のわたしには思いもよらなかったが、延べ一万人が参加する大学習運動の幕が上がったのである。」(近藤・中村常定共著『地域考古学の原点 月の輪古墳』pp.9~10)と述懐しています。

 石柱と説明板。

 説明板3つ。美咲町教委。岡山県教委・柵原町教委。環境省・岡山県。


 全景。北から。


 墳頂の埋葬施設。


 造出の埋葬施設。


 遠景。南から。
            以上2016年3月撮影。


 標識。


 中央棺及び粘土槨。


 南棺及び粘土槨。


 造出。


 3つで全景。中央。右側。左側。
              以上2013年4月撮影。

 
 
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