2018年08月30日

784 重定古墳 福岡県うきは市 70m

 HP.うきは市観光協会の「重定古墳」の項目で、「本来、西向きのきれいな前方後円墳ですが、前後左右及び後円部墳頂には社地として削平されて当時の姿をとどめておらず、現存長51m、後円部径44m、高さ8.5mとなっています。石室は、大型石材を積み上げた石室全長約15mの複室構造の横穴式石室で、玄室の高さが約3.8mとなっています。玄室の腰石および天井石は一枚石を使用しており、豪壮な感があります。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「重定古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円 墳長:現状50(推定70) 後円部:径現状25(推定40) 高現状8m 前方部:長現状25(推定30) 高現状5m」と記しています。 
 墳形は、周辺が住宅地に囲まれ、削平されている部分があるため前方後円形とは確認できません。また、昔の絵なので墳丘のどの部分を撮ったのか不明なところがあります。「どいかん」。   
 古墳は、江戸時代から装飾古墳として知られており、約30m南西に隣接した円墳の楠名古墳とともに、「楠名・重定古墳」として国の史跡に指定されています。また、約200m南東にある法正寺古墳(ランキング270位)とともに朝田古墳群を構成しています。

 石柱。

 説明板2つ、前者はうきは市教委。そして「古墳室案内図」。


 後円部?右側。左側か。→前方部右側。左側。


 前方部残存部から後円部。→後円部。


 墳丘。→後円部墳頂。
              以上2010年10月撮影。 


     追記

 絵の説明に誤りがありましたので、→以降に訂正します。また、2020年1月11日のブログに、「追加784 重定古墳」として、新しい絵を掲載しています。   


  おまけ  楠名古墳(円墳 径約32m)

 石柱。


 石室入口。石室内部。


 3つで全景。中央。右側。左側。


 遠景。
              以上2010年10月撮影。  


Posted by じこま at 17:15Comments(0)

2018年08月30日

783 弁天塚古墳 奈良県天理市 70m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「弁天塚古墳」の項目で、「墳丘  形状:前方後円? 墳長:70m 後円部:径40m 高3.5?前方部:幅30? 長30? 高2以上」と記されています。          
 前方部が畑地、後円部に林が繁る現状です。前方部端に近接してJR.桜井線が通っています。大和古墳群の中では西端に位置し、約800m東に中山大塚古墳(ランキング120位)、約1km東に西殿塚古墳(ランキング19位)があります。余談ですが、特殊器台・特殊壺の破片が出土した弁天塚古墳は、橿原市にあった別の同名古墳です。

 前方部から後円部。西から。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
            以上2013年9月撮影。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2018年08月30日

782 愛甲大塚古墳(石田車塚古墳) 神奈川県厚木市及び伊勢原市 70(70~80)m

 HP.伊勢原市の「いせはら文化財サイト」の「古墳の築造」の項目で、「市内では愛甲石田駅の南側に厚木市とまたがって位置する石田車塚(いしだくるまづか)古墳(別名、愛甲大塚古墳=あいこうおおつかこふん)があります。当初は円墳と思われていましたが、調査の結果全長70~80メートルの前方後円墳であることが分かりました。」と記されています。
 現状は、前方部が消失し後円部が径30m程度の円墳状態です。墳丘の大部分は厚木市内に位置し、一般的に愛甲大塚古墳という名称で知られていますが、伊勢原市は石田車塚古墳と呼んでいるようです。同じ古墳を、行政地域の違いで異なる名称を使用しているとすれば、「どいかん」。

 後円部残存部近景。


 後円部残存部。東から。


 後円部残存部全景か。


 古墳近くの駐輪場。古墳は、絵の外右奥方向にあり。
                以上2009年12月撮影。厚木市愛甲東1丁目2-17付近。


    追記

 2019年8月10日のブログに、「追加782 愛甲大塚古墳(石田車塚古墳)」として、新しい絵を掲載しています。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)