2018年08月14日
739 今井神社古墳 群馬県前橋市 71m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「今井神社古墳(荒砥村301号墳〈綜覧〉)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長71m 後円部:径44m 高7.5m 前方部:幅50m 高7m」と記されています。前橋市の史跡に指定されています。
後円部・前方部ともに社殿・祠が建立されて一部が削平されていますが、大きな墳丘が残されています。
標柱。説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


前方部端全景。南から。
全景。右が前方部、左が後円部。南西から。
以上2014年12月撮影。
後円部・前方部ともに社殿・祠が建立されて一部が削平されていますが、大きな墳丘が残されています。
標柱。説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
前方部端全景。南から。
全景。右が前方部、左が後円部。南西から。
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14:33
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2018年08月14日
738 香取神社古墳(仁江戸1号墳) 茨城県八千代町 71(70)m
「仁江戸古墳群は、現在2基の前方後円墳と19基の円墳の計21基が確認されている。(中略)仁江戸古墳群中、最大の古墳は香取神社古墳(1号墳)で、5世紀前葉に造られたと推定される全長約70mの前方後円墳である。町内はもちろん、鬼怒川中流域でも最大級の古墳である。」(八千代町教育委員会『仁江戸7号墳 -茨城県結城郡八千代町所在の仁江戸古墳群7号墳の調査-』p.3)と述べられています。約800m北西に柴崎古墳群があり、仙玄様古墳(ランキング725位)も村岡柴崎古墳1号墳として紹介しました。上記前掲書では、「千代川村にある柴崎古墳群は、仁江戸古墳群と同じ台地上に隣接して立地しており、一連の古墳群として捉えることができる。柴崎古墳群は、4世紀後葉に造られたと考えられる全長約65mと55mの2基の前方後円墳からなっている。」(p.3)とする記述もあります。
後円部墳頂には、社殿が建立されていますが、巨大な後円部が印象的な古墳です。上空からの航空写真をみると、大型の周濠がめぐっていたと思われます。
「香取神社」の石碑。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部端右側。左側。

全景。右が前方部、左が後円部。東から。
全景。右奥が後円部、左手前が前方部。北西から。
以上2015年5月撮影。
後円部墳頂には、社殿が建立されていますが、巨大な後円部が印象的な古墳です。上空からの航空写真をみると、大型の周濠がめぐっていたと思われます。
「香取神社」の石碑。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部端右側。左側。
全景。右が前方部、左が後円部。東から。
全景。右奥が後円部、左手前が前方部。北西から。
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09:09
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2018年08月14日
737 花牟礼古墳(塚崎旧39号墳・新51号墳) 鹿児島県肝付町 71m
何といっても日本一の古墳。最南端に位置する前方後円墳として有名です。国の史跡に指定されている「塚崎古墳群」ですが、他に4基の前方後円墳が確認されていますが、その中で最大の古墳です。ところが、この「塚崎古墳群」に大変な事態がおきています。古墳番号が変更されてしまったのです。2018年3月に肝付町教育委員会が策定した『史跡塚崎古墳群保存活用計画書』で、この古墳は51号墳(平成30年番号)とされ、2009年発行の『塚崎古墳群 肝付町埋蔵文化財発掘調査報告書』では39号墳(報告書番号)でした。古墳番号変更には、それなりの理由があると思いますが、1944年に国指定史跡申請時に付された古墳番号を復活させて、10年未満の間に報告書番号を変更するのは、混乱必至で朝令暮改と言わざるを得ません。また、上記の『活用計画書』は、おっさん的に、余分な内容が多く役所的なニオイがプンプンして、ぷんぷんしています。また、『活用計画書』では、「県の調査を基に、昭和41年(1966)には古墳に標柱を設置したが、県の調査で32号墳が設定されなかったことから、33号墳以降の標柱番号は一つずつ前倒しにする形で番号が設定された。」(p.16)と記述されており、変なところに「39号墳」の石柱(標柱)があったことを思い出しました。「これはどいかん」。
ただし、古墳群の北部に町立の「歴史民俗資料館」があり、訪問時「愛知県から来ました。」と言うと館長さんらしき方から「遠くからよく来たね。」と地元のみかんをいただいた記憶があります。こうした心配りは、旅先では本当にありがたいです。感謝申し上げます。
標柱。
後円部右側。左側。

前方部。前方部から後円部。

近景(横から)。右が後円部、左が前方部の一部。

後円部端全景。南から。
以上2012年2月撮影。
ただし、古墳群の北部に町立の「歴史民俗資料館」があり、訪問時「愛知県から来ました。」と言うと館長さんらしき方から「遠くからよく来たね。」と地元のみかんをいただいた記憶があります。こうした心配りは、旅先では本当にありがたいです。感謝申し上げます。
標柱。
後円部右側。左側。
前方部。前方部から後円部。
近景(横から)。右が後円部、左が前方部の一部。
後円部端全景。南から。
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08:08
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