2019年03月27日
[1227-10] 地蔵山(とんがらし山古墳) 群馬県伊勢崎市 円墳 径54m→(帆立貝形前方後円墳 60m)
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「地蔵山古墳(とんがらし山古墳・赤堀村1号墳〈綜覧〉)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 墳長:60m 後円部:径40m 高3.6m」と記されています。ここでは、帆立貝形前方後円墳として書いていきます。
墳頂には、「唐辛子地蔵」のお堂が建立されているので、地蔵山あるいはとんがらし山と呼ばれているそうです。道路から墳頂に上るにはかなりの高さがあり、斜面を登るためのロープが設置されていました。
約300m南に、消滅古墳の五目牛二子山古墳(ランキング[237]位)がありました。
墳頂。
墳丘近景。北から。
全景。手前が前方部、奥が後円部か。西から。
以上2016年11月撮影。
墳頂には、「唐辛子地蔵」のお堂が建立されているので、地蔵山あるいはとんがらし山と呼ばれているそうです。道路から墳頂に上るにはかなりの高さがあり、斜面を登るためのロープが設置されていました。
約300m南に、消滅古墳の五目牛二子山古墳(ランキング[237]位)がありました。
墳頂。
墳丘近景。北から。
全景。手前が前方部、奥が後円部か。西から。
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2019年03月26日
[1227-9] 大和2号墳 奈良県奈良市 60(60・56)m
森下さんは、「墳丘 前方部を南南東に向けた前方後円墳である。現状では東側のくびれ部が削り取られて、ややいびつな形状となっている。全長60m、後円部径20m、後円部高さ3m、くびれ部から前方部前端までの長さ35m、くびれ部幅15m、前方部前端幅20m、前方部高さ3mである。」(奈良県立橿原考古学研究所編集『大和前方後円墳集成』p.44)と述べています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「大和2号墳(奈良県遺跡地図5-B-17古墳、宇和奈辺古墳陪塚い号古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:56m 後円部:高3m 前方部:高3.5m 特記事項 宇和奈辺古墳陪塚い号」と記されています。そして、今尾文昭さんは、「JR関西線をはさんだ東側の丘陵裾に方墳一基と墳長五六メートルの小形前方後円墳(宮内庁の宇和奈辺陵墓参考地飛地い号・大和二号墳)が存在するが、資料不足のため本墳(おっさん註 ウワナベ古墳のこと)との直接的な関係は今のところ不明とせざるをえない。」(『ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群』p.72)と述べています。
この大和2号墳は、「宇和奈辺陵墓参考地陪冢い号」として宮内庁が管理している古墳です。宮内庁管理古墳は、たとえ陪塚といえども制札や名称を示した木柱・柵などが設置されているのが一般的ですが、訪問時そうした設置物は見られませんでした。「見落としただけだらー」。
古墳は、ウワナベ古墳(ランキング13位)のくびれ部の約100m東に位置しています。ウワナベ古墳の東側周濠や外堤は、国道24号線バイパスによって削平されているので、築造当時は外堤に接していたと思われます。現状では、前方部の端幅が狭くなっており道路で削られた可能性も考えられると思いました。また、訪問当時、古墳の東側は空き地になっていましたが、現在はテニスコートが造られています。
古墳は、今尾さんの分類によると佐紀古墳群の東群の中央小支群に属しています。佐紀古墳群には、墳長200m以上の巨大古墳だけでも8基あり、東群ではウワナベ古墳・ヒシャゲ古墳(ランキング24位)・コナベ古墳(ランキング33位)の3基が該当します。ちなみに、西群では、五社神古墳(ランキング12位)・佐紀石塚山古墳(ランキング25位)・佐紀陵山古墳(ランキング31位)、中央群に市庭古墳(ランキング14位)、南群に宝来山古墳(ランキング21位)があります。また、今尾さんは佐紀古墳群とは区別していますが、約200m南東の丘陵地に不退寺裏山古墳(ランキング488位)があります。
前方部。北から。
前方部から後円部。南から。
後円部から前方部。北から。
後円部墳頂。
前方部端全景。南から。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
以上2014年5月撮影。
この大和2号墳は、「宇和奈辺陵墓参考地陪冢い号」として宮内庁が管理している古墳です。宮内庁管理古墳は、たとえ陪塚といえども制札や名称を示した木柱・柵などが設置されているのが一般的ですが、訪問時そうした設置物は見られませんでした。「見落としただけだらー」。
古墳は、ウワナベ古墳(ランキング13位)のくびれ部の約100m東に位置しています。ウワナベ古墳の東側周濠や外堤は、国道24号線バイパスによって削平されているので、築造当時は外堤に接していたと思われます。現状では、前方部の端幅が狭くなっており道路で削られた可能性も考えられると思いました。また、訪問当時、古墳の東側は空き地になっていましたが、現在はテニスコートが造られています。
古墳は、今尾さんの分類によると佐紀古墳群の東群の中央小支群に属しています。佐紀古墳群には、墳長200m以上の巨大古墳だけでも8基あり、東群ではウワナベ古墳・ヒシャゲ古墳(ランキング24位)・コナベ古墳(ランキング33位)の3基が該当します。ちなみに、西群では、五社神古墳(ランキング12位)・佐紀石塚山古墳(ランキング25位)・佐紀陵山古墳(ランキング31位)、中央群に市庭古墳(ランキング14位)、南群に宝来山古墳(ランキング21位)があります。また、今尾さんは佐紀古墳群とは区別していますが、約200m南東の丘陵地に不退寺裏山古墳(ランキング488位)があります。
前方部。北から。
前方部から後円部。南から。
後円部から前方部。北から。
後円部墳頂。
前方部端全景。南から。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
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2019年03月26日
[1227-8] 壬生牛塚古墳 栃木県壬生町 47→(60・65)m
HP.「壬生町文化財デジタルマップ」の「牛塚古墳」の項目で、「牛塚古墳は東側にある車塚古墳(円墳)とともに、町の中央部を南流する黒川東岸の台地上につくられた前方後円墳です。墳形は前方部が短く、上から見ると帆立貝のような形をしているため『帆立貝型の前方後円墳』とも呼ばれています。 墳丘は二段につくられ、第一段平坦面(基壇)が幅広くつくられているのが特徴です。 墳丘第一段の全長は約60m、後円部の高さは約5mあります。墳丘の周囲には堀(周溝)がめぐっていましたが、ほとんどが埋もれてしまい、わずかなくぼ地としてその姿を確認することができます。 近年の発掘調査の結果、堀は浅く掘られた堀の中央部を、さらに掘り下げて造る二段堀りの堀であることが判明しました。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「壬生牛塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 築成:前方部2段、後円部:2段 墳長:64.5m 後円部:径34.72m 高5.55m 前方部:幅24.94m 高:2.79m 特記事項【周濠】あり。」と記されています。古墳は、国の史跡に指定されています。
この古墳は基壇を有する帆立貝形前方後円墳ということで、前にも触れましたが、「下野型古墳」に属する古墳と考えられます。墳長のデータが大きく異なるのは基壇部分を墳丘とみなすか否かという点にあると思います。土生田純之さんは、「この『基壇』については、後述するようにかつて地元の研究者は墳丘に含めないことが慣例となっていた。つまり、平坦な『基壇』は墳丘ではなく、付属状施設として理解されていたのである。しかし、後の『畿内』を始め他地方との整合性等から今日では墳丘に含めるようになっている。このことについては後述するように、『基壇』は単に地表面を削平して整えたのではなく、盛土を伴っており明らかに墳丘の一部を形成するものであることが判明している。」(「下野型古墳の歴史的意義」pp.199~200 『専修人文論集 100号』所収)と述べています。
上記のように、基壇部分を含んで60m級の古墳なので、規模の小さな印象は否めません。さらに、東に隣接する壬生車塚古墳(ランキング533位)が屈指の巨大円墳だけになおさらです。
約500m南に壬生愛宕塚古墳(ランキング621位)があります。
壬生町教委の説明板。
前方部から後円部。
前方部右隅から後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
以上2017年3月撮影。
前方部から後円部。
前方部右隅から後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
以上2015年1月撮影。
この古墳は基壇を有する帆立貝形前方後円墳ということで、前にも触れましたが、「下野型古墳」に属する古墳と考えられます。墳長のデータが大きく異なるのは基壇部分を墳丘とみなすか否かという点にあると思います。土生田純之さんは、「この『基壇』については、後述するようにかつて地元の研究者は墳丘に含めないことが慣例となっていた。つまり、平坦な『基壇』は墳丘ではなく、付属状施設として理解されていたのである。しかし、後の『畿内』を始め他地方との整合性等から今日では墳丘に含めるようになっている。このことについては後述するように、『基壇』は単に地表面を削平して整えたのではなく、盛土を伴っており明らかに墳丘の一部を形成するものであることが判明している。」(「下野型古墳の歴史的意義」pp.199~200 『専修人文論集 100号』所収)と述べています。
上記のように、基壇部分を含んで60m級の古墳なので、規模の小さな印象は否めません。さらに、東に隣接する壬生車塚古墳(ランキング533位)が屈指の巨大円墳だけになおさらです。
約500m南に壬生愛宕塚古墳(ランキング621位)があります。
壬生町教委の説明板。
前方部から後円部。
前方部右隅から後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
前方部から後円部。
前方部右隅から後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。東から。
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2019年03月25日
[1227-7-2] 人塚古墳のおまけの「尼塚古墳」 兵庫県加古川市 円墳 径40以上→52m
西条古墳群を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。発掘調査により、墳長51.5mの造り出し付円墳であることが明らかとなっています。
加古川市教委の西条古墳群の案内板。
石柱。説明板。

造り出しから円丘部。南東から。
ほぼ全景。南から。
ほぼ全景。北東から。
ほぼ全景。
造出の説明板。
以上2017年1月撮影。
2つで全景。

2つで全景。
以上2010年7月撮影。
加古川市教委の西条古墳群の案内板。
石柱。説明板。
造り出しから円丘部。南東から。
ほぼ全景。南から。
ほぼ全景。北東から。
ほぼ全景。
造出の説明板。
2つで全景。
2つで全景。
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2019年03月25日
[1227-7] 人塚古墳 兵庫県加古川市 円墳または帆立貝形前方後円墳 50以上→(62)m
加古川市教育委員会の『加古川市 西条古墳群 人塚古墳』の中で、「復元結果 以上の検討から、墳丘各部の大きさは以下のように推定できる。 墳長 61.5m以上(大型突出部長不明) 墳丘径 61.5m 墳丘高 10.4m 第1段高さ 4.1m 第2段径 41.5m 第2段高さ 6.1m 墳頂部径 14.5m(推定復元) 大型突出部 くびれ部幅32m(推定復元) 高さ4.1m 小型突出部(造り出し) 長さ・幅不明 高さ1.2m 周濠幅 10m 人塚古墳の墳丘の特徴は、大小2つの突出部があること、墳丘本体が大型であり、かつ高いこと、それにともない第1段も高いことがあげられる。」(p.42)、「墳丘 裾を明確にとらえていない調査区が多く、形態や規模の細かい部分での確定は困難であるが、墳長(大型突出部を含む長さ)61.5m以上、円丘部の径61.5m、墳丘高10.4mで、西方に大型の突出部をもつ『帆立貝式古墳』『造り出し付円墳』などと呼称される墳形になる。大型突出部の西側には、別に小型の突出部(造り出し)が取りつく可能性が高い。」(p.118)と述べられています。「西条古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
上記の報告書によれば、墳形は1カ所の造り出しを有する帆立貝形前方後円墳あるいは、2カ所の造り出しを有する造り出し付円墳ということになるでしょうか。同じ古墳群に属する行者塚古墳(ランキング205位)も、4カ所の造り出しを持つ特徴的な前方後円墳でした。また、この人塚古墳と同様な墳形の古墳として東京都世田谷区の野毛大塚古墳(ランキング507位)を思い出しました。人塚古墳の墳丘は雑木林に覆われて、円墳にしか見えませんでした。
約200m南東の行者塚古墳・約150m南の尼塚古墳とともに西条古墳群を構成しています。また、約2km西に南大塚古墳(ランキング459位)・槢墓古墳(ランキング477位)などの日岡古墳群があります。
石柱。説明板。

ほぼ全景。南東から。
全景。北から。
全景。南から。
加古川市教委の説明板2つ。
以上2017年1月撮影。
木柱。
2つで全景。
以上2010年7月撮影。
上記の報告書によれば、墳形は1カ所の造り出しを有する帆立貝形前方後円墳あるいは、2カ所の造り出しを有する造り出し付円墳ということになるでしょうか。同じ古墳群に属する行者塚古墳(ランキング205位)も、4カ所の造り出しを持つ特徴的な前方後円墳でした。また、この人塚古墳と同様な墳形の古墳として東京都世田谷区の野毛大塚古墳(ランキング507位)を思い出しました。人塚古墳の墳丘は雑木林に覆われて、円墳にしか見えませんでした。
約200m南東の行者塚古墳・約150m南の尼塚古墳とともに西条古墳群を構成しています。また、約2km西に南大塚古墳(ランキング459位)・槢墓古墳(ランキング477位)などの日岡古墳群があります。
石柱。説明板。
ほぼ全景。南東から。
全景。北から。
全景。南から。
加古川市教委の説明板2つ。
木柱。
2つで全景。
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2019年03月25日
[1227-6] 舟戸山古墳 茨城県日立市 (円墳 径60mまたは前方後円墳 100m?)
「いばらきデジタルまっぷ」の「文化財」の「遺跡名 舟戸山古墳」の項目で、「行政名 日立市、遺跡ID 155、所在地 久慈町4丁目279、種類 古墳、備考 円墳1基(2段築造。)前方部と思われるものが存在したという伝承もある。」と記されています。また、茨城県大宮土木事務所・財団法人茨城県教育財団の『一般県道日立東海線道路改良工事地内埋蔵文化財発掘調査報告書 愛宕山古墳』の中で、「4世紀になると久慈川流域は、古墳の築造が始まり那珂川流域と共にいち早く、大和朝廷の影響を受けた地域である。(中略)久慈川河口近くの左岸に位置する舟戸山古墳〈10〉や、下流域右岸に位置する梵天山古墳は、全長100mを超える大形の前方後円墳である。」(p.3)と述べられています。さらに、ブログ「青葉考古学倶楽部」の「舟戸山古墳付近と」(2014年11月16日日曜日)では、「日立市久慈町にある『舟戸山古墳』。墳丘長60mとも100mとも言われている前方後円墳。この古墳の南西側の薮の中に低いマウンドがありました。」と記されています。
古墳は、茂宮川河口の北側の丘陵地に立地しており、茨城港(日立港区)を臨むことができます。丘陵地は、「舟戸山共同墓地」となっており、北部に円墳状の雑木林が残されています。墓地の区割りに不自然な部分があり、その所が前方部跡と考えられなくもないですが、ここでは円墳として書いていきます。
墳頂。
墳丘近景。
全景。西から。
全景。南東から。
以上2015年6月撮影。
古墳は、茂宮川河口の北側の丘陵地に立地しており、茨城港(日立港区)を臨むことができます。丘陵地は、「舟戸山共同墓地」となっており、北部に円墳状の雑木林が残されています。墓地の区割りに不自然な部分があり、その所が前方部跡と考えられなくもないですが、ここでは円墳として書いていきます。
墳頂。
墳丘近景。
全景。西から。
全景。南東から。
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2019年03月24日
[1127-5-2] 山之越古墳(壇場山古墳 第三古墳)のおまけの「第一古墳・第二古墳」 兵庫県姫路市
「壇場山古墳 第一古墳・第二古墳」として、国の史跡に指定されている古墳を紹介します。
「第一古墳」は林堂東塚古墳と呼ばれ、壇場山古墳の後円部の約40m東に位置しています。ただし、民家の敷地内にあるため立ち入りは遠慮しました。
櫛之堂古墳と呼ばれる「第二古墳」は、後円部の約20m南西で周濠に接する位置に築造されています。
第一古墳(林堂東塚古墳) 小円墳 径不明
墳丘の一部。中央の小屋の奥。西から。
第二古墳(櫛之堂古墳) 円墳 径20m以上
石柱。
近景。南西から。
全景。北東から。
以上2017年1月撮影。
「第一古墳」は林堂東塚古墳と呼ばれ、壇場山古墳の後円部の約40m東に位置しています。ただし、民家の敷地内にあるため立ち入りは遠慮しました。
櫛之堂古墳と呼ばれる「第二古墳」は、後円部の約20m南西で周濠に接する位置に築造されています。
第一古墳(林堂東塚古墳) 小円墳 径不明
墳丘の一部。中央の小屋の奥。西から。
第二古墳(櫛之堂古墳) 円墳 径20m以上
石柱。
近景。南西から。
全景。北東から。
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2019年03月24日
[1227-5] 山之越古墳(壇場山古墳 第三古墳) 兵庫県姫路市 円墳 径50m→(方墳 辺60m)
姫路市のHP.の「壇場山古墳 第1・2・3古墳」の項目で、「概要 壇場山古墳は全長約143メートルの前方後円墳で、南南東に後円部を、北北東に前方部を向け、くびれ部の西側に造りだしが認められる。周濠をめぐらし、その外側には周庭帯を備えているようである。後円部墳頂には組合式長持型石棺が見られ、葺石や埴輪を伴っている。周囲には陪塚の第1、第2古墳がある。第3古墳は山之越古墳と呼ばれ、一辺約50メートルの方墳で、組合式長持型石棺や葺石・埴輪を備え、鏡・刀剣・玉類が出土している。」と記されています。ただ、墳長については、下記の説明板にあるように「一辺約60m」の方墳であることが確認されています。「壇場山古墳 第一、二、三古墳」という名称の「第三古墳」として、国の史跡に指定されています。
この山之越古墳は、壇場山古墳(ランキング93位)の約100m北西に位置しています。墳丘は、やや荒廃していますが、墳頂には長持型石棺の蓋部分と思われる石材が部分的に露出しています。また、墳頂からは、壇場山古墳の前方部を望むことができます。余談ですが、壇場山古墳の近くに旧山陽道の国道2号線が通り、山之越古墳の約300m南西に播磨国分寺跡があり、古代においてこの地は交通・政治の中心地であったことがうかがえます。
石柱。姫路市教委の説明板。

墳頂。墳頂の石棺。

近景。南東から。
全景。南東から。
以上2017年1月撮影。
この山之越古墳は、壇場山古墳(ランキング93位)の約100m北西に位置しています。墳丘は、やや荒廃していますが、墳頂には長持型石棺の蓋部分と思われる石材が部分的に露出しています。また、墳頂からは、壇場山古墳の前方部を望むことができます。余談ですが、壇場山古墳の近くに旧山陽道の国道2号線が通り、山之越古墳の約300m南西に播磨国分寺跡があり、古代においてこの地は交通・政治の中心地であったことがうかがえます。
石柱。姫路市教委の説明板。
墳頂。墳頂の石棺。
近景。南東から。
全景。南東から。
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2019年03月23日
[1127-4-2] 今泉口八幡山古墳のおまけの「菅ノ沢御廟古墳」 群馬県太田市 円墳 径30m
今泉口八幡山古墳の約30m北の丘陵地に立地しています。墳頂には石碑、墳裾には赤城神社の社殿が建立されてやや改変されていますが、大きな墳丘が残されています。社殿の裏側に横穴式石室があるそうですが、気づきませんでした。「だめじゃん」。
墳頂。
墳丘近景。南東から。
全景。南から。
以上2016年11月撮影。
墳頂。
墳丘近景。南東から。
全景。南から。
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2019年03月23日
[1227-4] 今泉口八幡山古墳 群馬県太田市 56(60)m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「今泉口八幡山古墳(毛里田八幡山古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:56m 後円部:径28m 高8.5m 前方部:幅44m 高7.6m」と記されています。また、太田市教育委員会文化財課による「太田市の古墳」の「⑫今泉口八幡山古墳」の項目で、「金山丘陵北にある一支丘の南側斜面にある菅ノ沢古墳群の中にある前方後円墳です。急傾斜地崩壊対策のために行われた擁壁工事に伴う発掘調査等により、全長約60m、前方部端幅約50m、後円部径約20mの前方部がやや開いた形をしている古墳であることのほか、後円部に家形石棺を持つ横穴式石室があることが分かりました。」と記されています。
古墳は、北関東自動車道「太田桐生」IC.の約800m西、丘陵斜面に立地しています。墳丘は草木に覆われて墳形を確認することができませんでした。北側には、墓地や赤城神社があり、神社は菅ノ沢御廟古墳の墳丘上に建立されています。
約1km西に寺山古墳(ランキング1155位)があります。
前方部右隅から後円部。西から。
後円部端全景。東から。
やや全景(横から)。右側墓地の奥が前方部、左奥が後円部のはず。北の菅ノ沢御廟古墳から。
遠景。手前が後円部。東南東から。
以上2016年11月撮影。
古墳は、北関東自動車道「太田桐生」IC.の約800m西、丘陵斜面に立地しています。墳丘は草木に覆われて墳形を確認することができませんでした。北側には、墓地や赤城神社があり、神社は菅ノ沢御廟古墳の墳丘上に建立されています。
約1km西に寺山古墳(ランキング1155位)があります。
前方部右隅から後円部。西から。
後円部端全景。東から。
やや全景(横から)。右側墓地の奥が前方部、左奥が後円部のはず。北の菅ノ沢御廟古墳から。
遠景。手前が後円部。東南東から。
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