2019年04月13日
[125-2] 鯨山古墳 愛媛県今治市 130(66mの円墳との説あり)m
愛媛県の史跡に指定されています。グーグルアースで見ると、前方後円墳のように見えますが墳形や規模は確定されていません。
石碑。
「後円部」中央。右側。左側。


「前方部」右側。左側。

「前方部」から「後円部」。
「前方部」墳頂。そして「後円部」墳頂。

全景。道路の右が前方部、左が後円部。南東から。
逆光でみえずらい。
遠景。階段奥に後円部。南西から。
追記
2019年4月13日に、[125]を[125-1]に訂正しました。
石碑。
「後円部」中央。右側。左側。
「前方部」右側。左側。
「前方部」から「後円部」。
「前方部」墳頂。そして「後円部」墳頂。
全景。道路の右が前方部、左が後円部。南東から。
遠景。階段奥に後円部。南西から。
追記
2019年4月13日に、[125]を[125-1]に訂正しました。
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09:11
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2019年04月13日
[125-1] 中居越後塚古墳 群馬県高崎市 130m
ブログ『東国の古代史』の中で「まぼろしの古墳《高崎市》」として、この古墳が次のように紹介されています。
越後塚古墳(高崎市上中居町薬師) 「高崎環状線と17号倉賀野バイパスの交差点から近い住宅地にありました。まったく調査されないまま削平されたため、詳細は不明ですが、明治9年の地割図から墳丘の大きさが計算されている。それによると、墳丘長は130mの前方後円墳であることが推定されている。周濠があったかどうか不明だが大きさからして存在していたと思われる。周濠があれば墳丘長はもう少し小さくなるような気がします。」
高崎市上中居町543付近
後円部右側付近か?そして後円部左側付近か?南から。

くびれ部付近か?
追記
上記の絵は、ご指摘のように跡地付近のものではありませんでした。2019年4月13日のブログに訂正した新しい絵を掲載しています。また、[125 越後塚古墳]を[125-1 中居越後塚古墳]に変更します。
越後塚古墳(高崎市上中居町薬師) 「高崎環状線と17号倉賀野バイパスの交差点から近い住宅地にありました。まったく調査されないまま削平されたため、詳細は不明ですが、明治9年の地割図から墳丘の大きさが計算されている。それによると、墳丘長は130mの前方後円墳であることが推定されている。周濠があったかどうか不明だが大きさからして存在していたと思われる。周濠があれば墳丘長はもう少し小さくなるような気がします。」
高崎市上中居町543付近
後円部右側付近か?そして後円部左側付近か?南から。
くびれ部付近か?
追記
上記の絵は、ご指摘のように跡地付近のものではありませんでした。2019年4月13日のブログに訂正した新しい絵を掲載しています。また、[125 越後塚古墳]を[125-1 中居越後塚古墳]に変更します。
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09:10
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2019年04月13日
追加・補遺 [125-1] 中居越後塚古墳 群馬県高崎市
2018年2月26日のブログで、「[125] 越後塚古墳 群馬県高崎市 130m」として紹介しましたが、「近所の者ですが」さんから掲載した絵の場所が異なっているとの指摘を受け、先日再訪しました。位置情報は、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「中居越後塚古墳(佐野村74号墳〈綜覧〉)を参考にしましたが、またまた違った場所かもしれないのでご指摘頂ければありがたいです。また、次の項目の鯨山古墳も[125」としていましたので、混乱を避けるために越後塚古墳を[125-1]中居越後塚古墳、鯨山古墳を[125-2」と訂正します。
この古墳の再訪時、群馬県内の消滅大型古墳をいくつか訪問しましたので、しばらく群馬県の消滅古墳シリーズを続けます。
追記
冒頭で、ブログ掲載の日付を、「2018年2月26日」と書きましたが、操作を誤って「2019年4月13日」となってしまいました。お詫びして訂正いたします。
バス停。
回転しすぎだらー。
跡地付近。北から。
上中居町284付近。
跡地付近。北東から。
上中居町285-6付近。
跡地付近。南東から。
上中居町291付近。
跡地付近。東から。
左端が上中居町290-7付近。 以上2019年3月撮影。
この古墳の再訪時、群馬県内の消滅大型古墳をいくつか訪問しましたので、しばらく群馬県の消滅古墳シリーズを続けます。
追記
冒頭で、ブログ掲載の日付を、「2018年2月26日」と書きましたが、操作を誤って「2019年4月13日」となってしまいました。お詫びして訂正いたします。
バス停。
跡地付近。北から。
跡地付近。北東から。
跡地付近。南東から。
跡地付近。東から。
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09:09
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2019年04月13日
[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m
堺市HP.の「文殊塚古墳」の項目で、「百舌鳥古墳群の南端にあり、主要な古墳の集中地帯からは、離れて築かれています。 百済川左岸の台地上にある前方部を西に向けた前方後円墳です。 墳丘は全長約59.1メートル、後円部径約36.3メートル、高さ約5メートル、前方部幅約27.3メートル、高さ約4メートルの規模で、明確な周濠はありません。 かつて、須恵質の埴輪が採集されていますが、主体部の構造や副葬品などについてはわかっていません。 南側と西側は道路で、柵越しに墳丘を眺めることが出来ます。」と記されています。ただし、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「文殊塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:53m 後円部:径30m 高3.5m 前方部:幅30m 長22m 高3m」と記されています。また、下の文部省などによる説明石碑では、「全長五五メートル後円部径三五メートル高さ四.三メートル前方部三十メートル高さ三.三メートル」と表記されています。ここでは、発掘調査によるデータの「59.1m」と考えていきます。「百舌鳥古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
約500m北北西に石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)、約1km東に土師ニサンザイ古墳(ランキング9位)がありますが、上記のように百舌鳥古墳群の南端に位置し、台地端に立地しているため単独墳的な存在です。周囲は柵が設置してあるため、墳丘には立ち入れませんでした。また、周辺は道路と住宅地になっているため、なかなかいい絵は撮れませんでした。「言い訳は止めりん」。
石柱。文部省・大阪府教委・堺市教委の説明石碑。

前方部右隅から後円部、西から。前方部左隅から後円部、西から。

後円部(やや横から)、南東から。前方部(横から)、南から。

全景、手前が後円部、左奥が前方部、東から。
以上2017年9月撮影。
約500m北北西に石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)、約1km東に土師ニサンザイ古墳(ランキング9位)がありますが、上記のように百舌鳥古墳群の南端に位置し、台地端に立地しているため単独墳的な存在です。周囲は柵が設置してあるため、墳丘には立ち入れませんでした。また、周辺は道路と住宅地になっているため、なかなかいい絵は撮れませんでした。「言い訳は止めりん」。
石柱。文部省・大阪府教委・堺市教委の説明石碑。
前方部右隅から後円部、西から。前方部左隅から後円部、西から。
後円部(やや横から)、南東から。前方部(横から)、南から。
全景、手前が後円部、左奥が前方部、東から。
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08:08
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