2019年02月22日

1179 御園古墳(願成寺山古墳) 兵庫県尼崎市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「御園古墳(願成寺山古墳・目鏡塚古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3m 前方部:幅30m 長30m 高2.5m 特記事項【その他】現状は双円墳的形態で、原形を失っている。1933年墓地整理に伴い後円部乱掘、組合式箱式石棺出土。」と記されています。古墳の史跡指定はありませんが、出土した石棺は、考古資料として尼崎市の文化財に指定されています。
 「墓地古墳」です。なんと、墓地名も、「御園古墳墓地」らしいです。古墳は、北・東・西側が三菱電機伊丹製作所に囲まれ、南側には道路をはさんで阪急神戸線が通り、線路沿いの道路から細い道を北にむかうしか行き方がない、たどり着くのが容易でない古墳です。当初は、墓地にむかう細い道が曲がっている東側が後円部端と思い込んでいましたが、上記データベースには、前方部が東に図示してありました。そう考えると、石棺の設置場所が、「後円部ではなく前方部にある謎」が解けました。見た目で判断したことに反省して、「ではなく」という表現を用いました。石棺は、墓地上の施設内に設置されています。
 また、約200m東に、周囲をコンクリートで固められている家形石棺の蓋石があり、「岡院の石棺」と呼ばれています。文化財指定はなく、出土地は不明だそうですが、御園古墳の石棺は蓋石が残っているので直接的な関係性はなさそうです。ただ、岡院の石棺の立場に立てば、「ひっくり返されて身動きできないようにされ、かなわんな。」とぼやいているかもしれません。

 尼崎市教委の説明板。


 後円部跡ではなく前方部跡。


 前方部跡ではなく後円部跡から前方部跡。


 石棺。
            以上2014年1月撮影。


 後円部跡ではなく前方部跡。

 前方部跡ではなく後円部跡。


 前方部跡ではなく後円部跡から前方部。


 後円部端跡ではなく前方部端跡2つ。


 石棺の石柱。石棺。
              以上2012年5月撮影。


 おまけの「岡院の石棺」。尼崎市教委の説明板。石棺。
            以上2014年1月撮影。  


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2019年02月21日

1178 新林5号墳 千葉県香取市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「新林5号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部2段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 高5m 前方部:幅30m」と記されています。「片野新林古墳」という名称で、香取市の史跡に指定されている可能性があります。    
 香取市役所の約3.5km南西、国道51号線の西側に「佐原グリーンプラザゴルフ練習場」があります。そこから直線で約800m西に、廃車されたトラックやバスなどの大型車が放置されている空地があり、その西の林の中に古墳があります。ただし、ゴルフ練習場から古墳に向かう道はなく、大回りしないとたどり着けませんでした。古墳は整備されておらず、訪問のオフシーズンということもあり草木が生い茂り、墳形は全くわかりませんでした。ただ、墳丘の大きな高まりは確認することができました。

 後円部右側。左側。

 前方部。


 やや全景。右が前方部、左が後円部。東から。


 全景。右が前方部、左が後円部。東から。
            以上2015年6月撮影。  


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2019年02月21日

1177-2 山居古墳のおまけの「山居北(さんきょきた)古墳」 宮城県名取市 前方後方墳  

 国史跡「飯野坂古墳群」の中では、墳丘長42mと規模が最小の前方後方墳です。群中では北端にあり、山居古墳から約50m北西に位置しています。この古墳の南側、山居古墳と山居北古墳の間の丘陵地に高まりが見られ、古墳ではないかと思い絵を撮りましたが、「目の錯覚」の可能性が大です。

 名取市教委の「飯野坂古墳群」説明板。


 標柱。表と裏。


 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。


 後方部墳頂。


 「目の錯覚」
            以上2017年5月撮影。  


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2019年02月21日

1177 山居(さんきょ)古墳 宮城県名取市 前方後方墳 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「山居古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:60m 後円(ママ)部:径(ママ)30m 高5m 前方部:幅30m 長30m 高2m」と記されています。「飯野坂古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
 史跡「飯野坂古墳群」は、名取薬師堂古墳(ランキング885位)・観音塚古墳(ランキング1019位)をはじめ墳丘長60m以上の大型前方後方墳4基と40m級の前方後方墳1基・方墳2基からなり、前方後方墳を中心とする特色ある古墳群が愛島丘陵北東端部に集中して築造されています。また、約1km南に、東北地方最大級の前方後円墳である雷神山古墳(ランキング58位)があります。雷神山古墳も愛島丘陵南東部に立地していることから、史跡「飯野坂古墳群」に属する古墳群と雷神山古墳を同一の古墳群ととらえて、広義の飯野坂古墳群とする見解もあるようです。
 古墳は周囲を住宅地に囲まれていますが、保存されて墳丘上にも立ち入ることが可能です。一見すると、道路で囲まれたエリア全体が墳丘のようですが、実際の墳丘はその上段部分のみです。
 北西に山居北古墳、東に観音塚古墳、南東に宮山古墳が隣接して築造されています。

 標柱。表と裏。

 名取市教委の説明板。



 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。前方部左隅から後方部。


 後方部墳頂。


 前方部端全景。
            以上2017年5月撮影。


 後方部右側。左側。

 前方部。


 前方部右隅から後方部。前方部左隅から後方部。
              以上2009年10月撮影。  


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2019年02月20日

1176 昼神車塚古墳 大阪府高槻市 60m

 高槻市のHP.の「インターネット歴史館」の「昼神車塚古墳」の項目で、「昼神車塚古墳は上宮天満宮参道のすぐ東側に位置する前方後円墳です。全長60メートル、後円部径30メートルで、前方部の発掘調査では、犬や猪、角笛(つのぶえ)をもった狩人などの埴輪が出土しました。現在、前方部は復元・整備され、その様子は復元埴輪でみることができます。」と記されています。     
 古墳は、JR.東海道本線「高槻」駅の約500m北に位置しています。前方部の下に府道67号線が通り、古墳が保護されたことがうかがえます。ただ、周囲は柵に囲まれて墳丘内には立ち入れませんでした。
 淀川の支流芥川を間にはさんで、約2km西に、真の継体大王(天皇)の墓と考えられている今城塚古墳(ランキング45位)があります。

 石柱。

 大阪府教委・高槻市教委の説明板2つ。


 後円部全景。南西から。


 前方部左隅部分。北北東から。

 前方部右隅から後円部。北北西から。


 前方部端の復元埴輪。


 やや全景。右奥に後円部の一部、左手前が前方部。北西から。
            以上2015年3月撮影。  


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2019年02月20日

1175 乗場古墳 福岡県八女市 60(70)m

 八女市のHP.の「乗場古墳」の項目で、「墳丘長約70メートルの前方後円墳で、6世紀中頃の装飾古墳です。大正11年に国指定となりました。後円部の南側には複室構造の横穴式石室入口があります。 石室内部には赤・黄・青の3色を使った三角文や同心円文などの文様が描かれていますが、保護のため現在は閉鎖されています。出土した環頭大刀柄頭・人物埴輪などは岩戸山歴史文化交流館に展示されています。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「乗場古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 高5m 前方部:幅35m 高5m」と記されています。岩戸山古墳(ランキング102位)・石人山古墳(ランキング151位)などとともに、「八女古墳群」という名称で、国の史跡に再指定されています。
 古墳は、筑後川の支流の広川の南の小丘陵上に立地しています。道路で後円部墳裾、住宅地で前方部端が削られていますが、墳丘は比較的良く残されています。上記のように、装飾古墳としても有名ですが後円部南側の横穴式石室入口には、保護施設が設置されておりおっさんのような一般人には開放されていません。また、約300m西に「筑紫君磐井」の墓と推定されている岩戸山古墳があり、乗場古墳の被葬者も「磐井」と何らかの関係がある人物と考えられています。

 石柱。部分拡大。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 後円部石室保護施設。

 石室の装飾文様についての説明板2つ。


 2つで前方部端全景。


 前方部左隅から後円部。
              以上2010年10月撮影。


 案内板。

 八女市教委の説明板。


 前方部から後円部。
            以上2013年10月撮影。  


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2019年02月19日

1174 西原古墳 千葉県富津市 60m

 富津市のHP.の「内裏塚古墳群マップ」の「西原古墳 富津市大堀字西原」の項目で、「形態・規模 前方後円墳 墳丘長60m・後円部径30m・前方部幅36m 周溝 盾形周溝 全長70~75m 埴輪 なし 備考 昭和2年(1927)・平成元年(1989)石室発掘、現在石室周辺部分のみ残存」と記されています。
 JR.内房線で前方部が消滅し、民家の庭先で後円部の石室付近がかろうじて残っています。最初の訪問時は、「知らぬが仏」で石室付近の残存部の絵を撮らさせてもらいましたが、再訪時は遠慮しました。
 内裏塚古墳群は、内裏塚古墳(ランキング84位)をはじめ三条塚古墳(ランキング144位)・稲荷山古墳(ランキング258位)・九条塚古墳(ランキング279位)・青木亀塚古墳(ランキング283位)と墳丘長が100m以上の古墳が5基を数える関東地方有数の大古墳群です。西原古墳は、その内裏塚古墳群の中では比較的小規模な前方後円墳です。 

 説明板。


 
 後円部残存部近景3つ。


 石室の石材か。


 後円部残存部。
              以上2011年9月撮影。


 右が前方部跡、左が後円部残存部。


 右が前方部跡、左線路の奥が後円部残存部。


 手前が前方部跡、奥が後円部残存部。
            以上2015年11月撮影。  


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2019年02月19日

1173 猫石丸山古墳 大分県豊後高田市 60(65)m

 豊後高田市のHP.の「豊後高田市の前方後円墳について」の中の「猫石丸山古墳 【県指定史跡】」の項目で、「猫石丸山古墳は、古墳時代後期に造られた市内で3番目の大きさを誇る前方後円墳です。墳長は65m程です。墳丘周辺が畑地化などで一部削平を受けているものの、全体の形状はよく残っています。発掘調査によって周濠と共に円筒埴輪片が多く確認されました。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「猫石丸山古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:2段?、後円部:2段? 墳長:60m 後円部:径30m 高4.5m 前方部:幅35m 長30m 特記事項【造出】なし。【周濠】楯形か。【その他】古墳は公園となっており、かなり削平されている。」と記されています。大分県の史跡に指定されています。
 古墳見学のオフシーズンである6月に訪問したためか、墳丘には草木が茂りとても墳形を確認できる状況ではありませんでした。それどころか、標柱がなければここが古墳であるとは気づきませんでした。上記に「公園となっており」との記述が見られますが、おっさんの「公園」概念とは大きくズレていました。また、後円部には墓石のようなものが建立されていました。
 約1.5km北東に真玉大塚古墳(ランキング303位)、約1.5km南に入津原丸山古墳(ランキング615位)があります。猫石丸山古墳とともに、築造当時は海を臨む丘陵地端部に立地していたと思われます。

 標柱。



 後円部右側。左側。

 前方部。


 後円部の「浄義臺(台)?」銘の墓石か。


 後円部墳頂。


 後円部端近景。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年02月18日

1172-2 郡川西塚古墳のおまけの「郡川東塚古墳」 大阪府八尾市

 消滅古墳です。現在は、住宅地となっています。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「郡川東塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:50m 後円部:径25m 高3m 前方部:幅27m 長24m 高2m」と記されています。

 跡地付近。南西から。
            八尾市郡川3丁目ー61付近。

 跡地付近。南東から。
            以上2014年6月撮影。
  


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2019年02月18日

1172 郡川西塚古墳 大阪府八尾市 60m

 八尾市立埋蔵文化財調査センターのHP.「発掘情報 平成27(2015)年度」にある「古墳時代後期の前方後円墳の葺石と周濠を確認!」の項目で、「郡川西塚古墳は、本市の東部、現在の行政区画では、郡川一丁目に立地する古墳時代後期(6C)の前方後円墳です。地形的には、生駒山西麓部に発達した緩扇状地の末端部(標高13~16m)に位置しています。 本古墳は北面している前方後円墳で、現在、その原形は著しく破壊されていますが、測量の結果、全長約60m、後円部径約30mの規模を有することが予測されています。」と記されています。
 古墳は、新旧国道170号線の間に位置し、旧170号線と県道177号線との「郡川」交差点を約80m西に行った畑地の中にあります。ただ、畑地に勝手に足を踏み入れることははばかられたので、墳丘上の絵はありません。やや離れたところから絵を撮りました。
 約100m東に郡川東塚古墳、約2km北に心合寺山古墳(ランキング62位)があります。

 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北東から。


 全景。右奥が後円部、左手前が前方部。北西から。
            以上2014年6月撮影。  


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