2019年02月25日
1188 八人塚古墳 徳島県徳島市 60m
東潮他4名『徳島市八人塚古墳測量調査報告』(徳島大学総合科学部 人間社会文化研究 第13巻(2006))では、「以上のことから、八人塚古墳の規模は、後円部径約24m、前方部長約21m、前方部幅約6mであり、前方部削平後の最初の調査である今回の調査によって判明した墳丘残存長は約45mである。 今回の測量結果と過去の調査結果の間では、墳丘の規模が大きく相違する。前回の調査では、後円部径約30m、前方部幅約15m、全長は約60mとされている。前方部は削平されているためであり、後円部は積石が確実に原位置を保っている範囲から復元したためであると考えられる。前回の調査も今回も測量調査であり、正確な墳丘規模と原形を知るためには発掘調査に委ねるほかはない。」(p.66)と述べられています。徳島県の史跡に指定されています。
おっさんの苦手とする「ゴルフ場古墳」です。しかし、意を決してゴルフ場の関係者に古墳見学の件を問い合わせてみると、なんと支配人が途中まで案内してくださり、おまけに「飛んでくるゴルフボールに注意」とのアドバイスもいただきました。どこの馬の骨かわからないおっさんに対して、親切に対応してくださった「眉山カントリークラブ」の皆さん、本当にありがとうございました。
この八人塚古墳は、「積石塚」という特殊な築造方法の古墳といわれていますが、代表的な「積石塚」古墳の香川県高松市の石清尾山猫塚古墳(ランキング334位)・鏡塚古墳(ランキング805位)と比べると土の部分が多く、大きめの葺石が多数残っている古墳のような感じがしました。また、全長60m級の古墳にしては大きさ・高さが貧弱な印象がありましたが、上記の報告書でその謎が解けました。
説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部墳頂。後円部の積石。

後円部端近景。
遠景。北から。
眉山カントリークラブ内。 以上2016年9月撮影。
おっさんの苦手とする「ゴルフ場古墳」です。しかし、意を決してゴルフ場の関係者に古墳見学の件を問い合わせてみると、なんと支配人が途中まで案内してくださり、おまけに「飛んでくるゴルフボールに注意」とのアドバイスもいただきました。どこの馬の骨かわからないおっさんに対して、親切に対応してくださった「眉山カントリークラブ」の皆さん、本当にありがとうございました。
この八人塚古墳は、「積石塚」という特殊な築造方法の古墳といわれていますが、代表的な「積石塚」古墳の香川県高松市の石清尾山猫塚古墳(ランキング334位)・鏡塚古墳(ランキング805位)と比べると土の部分が多く、大きめの葺石が多数残っている古墳のような感じがしました。また、全長60m級の古墳にしては大きさ・高さが貧弱な印象がありましたが、上記の報告書でその謎が解けました。
説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。後円部の積石。
後円部端近景。
遠景。北から。
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09:09
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2019年02月25日
1187 寺山古墳(八幡塚18号墳) 茨城県かすみがうら市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「寺山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高6m 前方部:幅16m 高4m」と記されています。
最初の訪問時、参考にした位置情報が少しズレていて、周辺をウロウロしましたが結局墳丘らしき高まりは発見できませんでした。今度は、下調べをきちんとやり再訪。県道118号線から北にむかう道路を上り、途中から林の中に入り下草をかき分けながら頂上をめざすと、墳丘らしき高まりが見えてきました。人が滅多に入らない場所だけに、墳丘はよく残されていました。前回のリベンジを果たすことができ、ポケモンゲットの気分でした。
今まで何度も触れてきましたが、古墳は霞ヶ浦の東方に舌状に突き出た「土浦入」とよばれる台地縁辺部に位置し、約1.5km北に折越十日塚古墳(ランキング1148位)があります。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部墳頂。
遠景。南から。
以上2015年6月撮影。
最初の訪問時、参考にした位置情報が少しズレていて、周辺をウロウロしましたが結局墳丘らしき高まりは発見できませんでした。今度は、下調べをきちんとやり再訪。県道118号線から北にむかう道路を上り、途中から林の中に入り下草をかき分けながら頂上をめざすと、墳丘らしき高まりが見えてきました。人が滅多に入らない場所だけに、墳丘はよく残されていました。前回のリベンジを果たすことができ、ポケモンゲットの気分でした。
今まで何度も触れてきましたが、古墳は霞ヶ浦の東方に舌状に突き出た「土浦入」とよばれる台地縁辺部に位置し、約1.5km北に折越十日塚古墳(ランキング1148位)があります。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。
遠景。南から。
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08:08
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2019年02月24日
1186-2 つるぎ城古墳(福島4号墳)のおまけの「福島古墳群」 宮崎県串間市
串間市教委の案内板。
① 3号墳(長清見塚) 円墳
串間市教委の説明板。
墳頂。
全景。
② 5号墳(毘沙門塚) 前方後円墳
串間市教委の説明板。
後円部2つ。南から。西から。

後円部墳頂。
前方部跡?から後円部。西から。
③ 9号墳(霧島塚) 円墳
串間市教委の説明板。
近景。西から。
全景2つ。北から。南から。

墳頂。
④ 10号墳(万多城塚) 前方後円墳
串間市教委の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部端全景。
以上2014年6月撮影。
① 3号墳(長清見塚) 円墳
串間市教委の説明板。
墳頂。
全景。
② 5号墳(毘沙門塚) 前方後円墳
串間市教委の説明板。
後円部2つ。南から。西から。
後円部墳頂。
前方部跡?から後円部。西から。
③ 9号墳(霧島塚) 円墳
串間市教委の説明板。
近景。西から。
全景2つ。北から。南から。
墳頂。
④ 10号墳(万多城塚) 前方後円墳
串間市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部端全景。
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10:10
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2019年02月24日
1186 つるぎ城古墳(福島4号墳) 宮崎県串間市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「福島4号墳(つるぎ城古墳、*剣城塚)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3.5m 前方部:幅20m 長30m 高2.7m 特記事項【その他】前方部は保育所、後円部は神社で改変されている。」と記されています。「福島町古墳」を構成する古墳のひとつとして、宮崎県の史跡に指定されています。
古墳は、福島川右岸の微高地に立地し、日南線「串間」駅の約500m北に位置しています。墳丘は改変されていますが、「福島町古墳」の中では、比較的よく残っています。後円部墳頂には、戊辰戦争の戦没者を祀った護国神社があります。
宮崎県串間市教育委員会の『市内遺跡発掘調査概要報告書 姥ノ上遺跡 万多城遺跡』では、「万多城遺跡は串間市大字西方字石仏に所在する。串間市街地のほぼ中央部にあたるこの地域は平均標高15mほどのシラス台地で、歴史的に串間地方の中心的役割を果たしてきた地域である。旧福島町時代の昭和8年には町内に所在の19基の古墳が県指定となっているが、現在では福島小学校を中心にしたこの地域に残存する次の5基が形状を見ることのできる古墳として残存しており、遺跡はこの10号墳の東側に隣接する畑地に位置する。 ①3号墳(通称;長清見塚)円墳 ②4号墳(通称;剣城塚)前方後円墳 ③5号墳(通称;毘沙門塚)前方後円墳 ④9号墳(通称;霧島塚)円墳 ⑤10号墳(通称;万多城塚)前方後円墳」(p.3)と述べられています。
串間市教委の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


後円部墳頂。
以上2014年6月撮影。
古墳は、福島川右岸の微高地に立地し、日南線「串間」駅の約500m北に位置しています。墳丘は改変されていますが、「福島町古墳」の中では、比較的よく残っています。後円部墳頂には、戊辰戦争の戦没者を祀った護国神社があります。
宮崎県串間市教育委員会の『市内遺跡発掘調査概要報告書 姥ノ上遺跡 万多城遺跡』では、「万多城遺跡は串間市大字西方字石仏に所在する。串間市街地のほぼ中央部にあたるこの地域は平均標高15mほどのシラス台地で、歴史的に串間地方の中心的役割を果たしてきた地域である。旧福島町時代の昭和8年には町内に所在の19基の古墳が県指定となっているが、現在では福島小学校を中心にしたこの地域に残存する次の5基が形状を見ることのできる古墳として残存しており、遺跡はこの10号墳の東側に隣接する畑地に位置する。 ①3号墳(通称;長清見塚)円墳 ②4号墳(通称;剣城塚)前方後円墳 ③5号墳(通称;毘沙門塚)前方後円墳 ④9号墳(通称;霧島塚)円墳 ⑤10号墳(通称;万多城塚)前方後円墳」(p.3)と述べられています。
串間市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
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09:09
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2019年02月24日
1185 塩除古墳 福岡県福岡市 60m
未訪問古墳です。峯古墳(ランキング1162位)の項目でも書きましたが、当時は九州大学伊都キャンパス内にある元岡池ノ浦古墳(ランキング1065位)しか眼中になく、近くにあるこの古墳の訪問はスルーしてしまいました。いつか訪問するつもりです。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「塩除古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:3段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 前方部:幅20m 長30m」と記されています。
追記
2019年12月21日のブロブに、「追加1185 塩除古墳」として訪問時の絵を紹介しています。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「塩除古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:前方部:3段、後円部:2段 墳長:60m 後円部:径30m 前方部:幅20m 長30m」と記されています。
追記
2019年12月21日のブロブに、「追加1185 塩除古墳」として訪問時の絵を紹介しています。
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08:08
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2019年02月23日
1184 東浦古墳 埼玉県久喜市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「東浦古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高2.5m 前方部:幅推定20m 長30m 高2.5m」と記されています。
ほぼ消滅古墳です。前方部は住宅地、後円部も畑の中に一部分残っているのみです。詳細を確認しないまま訪問したので、古墳が見当たらず周辺をウロウロしながら、仕方なく畑地に残る小高い所を絵に撮りました。古墳かどうか自信がありませんでしたが、kofunsukiさんのブログ「関東の古墳&史跡探訪」の「久喜市の古墳 東浦古墳」の項目でほぼ同じ場所の絵が掲載されていたのでほっとしました。古墳は、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「菖蒲」パーキングエリアの約2km北、県道12号線と310号線の「小林」交差点から約300m北西の畑地に位置しています。余談ですが、当時圏央道は部分開通だったので、途中から一般道に入って時計を気にしながら訪問した記憶があります。
約2km南西に、天王山塚古墳(ランキング252位)があります。
全景。右が前方部跡、左が後円部残存部。北から。
後円部残存部。東から。
以上2015年1月撮影。
ほぼ消滅古墳です。前方部は住宅地、後円部も畑の中に一部分残っているのみです。詳細を確認しないまま訪問したので、古墳が見当たらず周辺をウロウロしながら、仕方なく畑地に残る小高い所を絵に撮りました。古墳かどうか自信がありませんでしたが、kofunsukiさんのブログ「関東の古墳&史跡探訪」の「久喜市の古墳 東浦古墳」の項目でほぼ同じ場所の絵が掲載されていたのでほっとしました。古墳は、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「菖蒲」パーキングエリアの約2km北、県道12号線と310号線の「小林」交差点から約300m北西の畑地に位置しています。余談ですが、当時圏央道は部分開通だったので、途中から一般道に入って時計を気にしながら訪問した記憶があります。
約2km南西に、天王山塚古墳(ランキング252位)があります。
全景。右が前方部跡、左が後円部残存部。北から。
後円部残存部。東から。
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2019年02月23日
1183 宮山古墳 宮城県名取市 前方後方墳 60m
名取奈良女子大学の前方後円墳データベースの「宮山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:60m 後円(ママ)部:径(ママ)30m 高3.5m 前方部:幅20m 長30m 高1.7m」と記されています。薬師堂古墳(ランキング885位)・観音塚古墳(ランキング1019位)・山居古墳(ランキング1177位)などとともに、「飯野坂古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
古墳は整備されており、墳形を確認することができました。再訪時には、前方部の木が伐採され見通しもよくなっていました。飯野坂古墳群の中では、山居古墳・観音塚古墳と名取薬師堂古墳の間に位置しています。
標柱。表と裏。

後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後方部。
以上2017年5月撮影。
後方部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。

前方部左隅から後方部。
以上2009年10月撮影。
古墳は整備されており、墳形を確認することができました。再訪時には、前方部の木が伐採され見通しもよくなっていました。飯野坂古墳群の中では、山居古墳・観音塚古墳と名取薬師堂古墳の間に位置しています。
標柱。表と裏。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。
後方部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部左隅から後方部。
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09:09
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2019年02月23日
1182 笹原笹塚古墳(上三川2号墳) 栃木県上三川町 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「笹原笹塚古墳(上三川2号墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3m 前方部:幅23m 高1m 特記事項【その他】篠竹が繁茂しており、墳丘自体の存在が不明、自然地形の可能性も残る。」と記されています。
古墳は、国道4号線石橋宇都宮バイパスと国道352号線との「上三川」交差点から約600m南の低台地上の林の中に立地しています。墳丘のような高まりを見つけることができましたが、60m規模の古墳であるとは思えず、墳形はよくわかりませんでした。
墳丘の一部か。


遠景。南から。
以上2015年1月撮影。
古墳は、国道4号線石橋宇都宮バイパスと国道352号線との「上三川」交差点から約600m南の低台地上の林の中に立地しています。墳丘のような高まりを見つけることができましたが、60m規模の古墳であるとは思えず、墳形はよくわかりませんでした。
墳丘の一部か。
遠景。南から。
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2019年02月22日
1181 和志山古墳 愛知県岡崎市 60m
宮内庁が景行天皇皇子の「五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこと)墓」と治定している古墳です。川崎みどりさんは、「全長60mの前方後円墳である。後円部の直径30m・高さ6m、前方部は幅26m・高さ3.4mで、西南西に向いている。後円部に対し前方部が低く狭い。かつては後円部に蓮華寺の建物があったと伝えられ、改変を受けたと思われる。」(「177 和志山古墳」、『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』p.530)と述べています。
古墳は、名鉄名古屋本線「宇頭」駅の約400m南の台地縁辺に立地し、蓮華寺の境内に位置しています。宮内庁が管理しているので、墳丘には立ち入れません。ただ、柵から墳丘を見ることは可能でした。
約500m北に宇頭大塚古墳(ランキング816位)があります。
立札(制札)。
前方部端近景。前方部端全景。西から。

後円部(横からか)。
前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。

右手前が後円部、左奥が前方部。
やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2013年12月撮影。
石柱。
やや全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
以上2017年11月撮影。
古墳は、名鉄名古屋本線「宇頭」駅の約400m南の台地縁辺に立地し、蓮華寺の境内に位置しています。宮内庁が管理しているので、墳丘には立ち入れません。ただ、柵から墳丘を見ることは可能でした。
約500m北に宇頭大塚古墳(ランキング816位)があります。
立札(制札)。
前方部端近景。前方部端全景。西から。
後円部(横からか)。
前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
右手前が後円部、左奥が前方部。
やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
石柱。
やや全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
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2019年02月22日
1180 曽我山古墳 高知県宿毛市 60m
「消滅古墳」です。現在は、コンクリート会社の敷地内となっており、早朝で関係者の方はおらず、近づくことは断念しました。古墳は、くろしお宿毛線の「平田」駅の約200m南、県道21号線の西側の丘陵地上にありました。高知県では、最大で唯一の前方後円墳の可能性が指摘されている古墳です。ウィキペディアの「平田曽我山古墳」の項目では、「宿毛市指定文化財 ・史跡 ・平田曾我山古墳ー1957年(昭和32年)7月27日指定」と記されていますが、宿毛市のHP.では確認できませんでした。消滅古墳が史跡指定されているならば、とても珍しいケースだと思います。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「曽我山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3m 前方部:長30m 特記事項【周濠】なし。【その他】封土中から土師器の細片が多数出土。1948年破壊。」と記されています。
追記(2020年5月3日)
「宿毛市宿毛歴史館」の矢木さんより、「平田曽我山古墳」は「昭和32年に市指定され、現在も解除されておりません。」と御教示いただきました。感謝申し上げます。
また、宿毛市のHP.の「宿毛市振興計画 -基本計画ー 平成28年」の「歴史・伝統の継承」(p.17)に示された「指定文化財」の表に、「市」「平田曽我山古墳」として掲載されていました。ここまで、チェックできていませんでした。関係者の皆さんにご迷惑をおかけしました。また、「曽我山古墳の出土品」も市の指定文化財となっています。
跡地遠景。東南東から。
跡地遠景。南東から。
跡地付近。北東から。
以上2017年5月撮影。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「曽我山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高3m 前方部:長30m 特記事項【周濠】なし。【その他】封土中から土師器の細片が多数出土。1948年破壊。」と記されています。
追記(2020年5月3日)
「宿毛市宿毛歴史館」の矢木さんより、「平田曽我山古墳」は「昭和32年に市指定され、現在も解除されておりません。」と御教示いただきました。感謝申し上げます。
また、宿毛市のHP.の「宿毛市振興計画 -基本計画ー 平成28年」の「歴史・伝統の継承」(p.17)に示された「指定文化財」の表に、「市」「平田曽我山古墳」として掲載されていました。ここまで、チェックできていませんでした。関係者の皆さんにご迷惑をおかけしました。また、「曽我山古墳の出土品」も市の指定文化財となっています。
跡地遠景。東南東から。
跡地遠景。南東から。
跡地付近。北東から。
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09:09
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