2019年06月02日

1294-3 新原・奴山12号墳のおまけの「1号墳・7号墳・20号墳・25号墳」 福岡県福津市

 ここに掲載する古墳は、「新原・奴山古墳群」の中では初期にあたる22号墳と同じ時期の5世紀に築造されたと考えられています。
 福津市のHP.の「世界遺産 新原・奴山古墳群」の「1号墳」の項目で、「5世紀中頃に築造された全長50mの前方後円墳です。道路建設に伴い発掘調査が行われた後、前方部は削られました。石室から鉄製木工具や鉄製の冑(かぶと)や甲(よろい)といった武具に加えて、鉄鉗(かなはし)や鏨(たがね)といった鍛冶具(かじぐ)が出土しました。宗像氏が沖ノ島祭祀を担っただけではなく、当時のハイテク技術であった鉄器生産にも関わっていたことを示す一品の可能性もあります。」と記されています。また、「7号墳」の項目では、「5世紀前半に築造された、宗像地域には珍しい方墳です。墳丘上に玉砂利が敷かれ、コハク原石や、沖ノ島と共通する鉄斧が表採されています。」と記され、群中では唯一の方墳です。
 2014年の訪問時、25号墳は発掘調査中らしく、墳丘の半分にはブルーシートが被せられていました。

  ① 1号墳 前方後円墳(後円部のみ残存) 50m  

 手前が前方部跡、奥が後円部。


 左が前方部跡、右が後円部。
            以上2014年10月撮影。


      追記

 2020年2月12日のブログに、「追加1294-3-1 新原・奴山古墳群1号墳」として、新しい絵を掲載しています。


  ② 7号墳 方墳 辺20×24m

 全景。
            2014年10月撮影。


  ③ 20号墳 円墳 径30m 

 全景。
            2014年10月撮影。

 説明板の一部。


 全景。
              以上2011年6月撮影。


     追記

 2020年2月11日のブログに、「追加1294-3-1 新原・奴山古墳群20号墳」として、新しい絵を掲載しています。

  ④ 25号墳 円墳 径35m

 全景2つ。
 
            以上2014年10月撮影。

 説明板の一部。


 全景。
              以上2011年6月撮影。  


Posted by じこま at 10:10Comments(0)

2019年06月02日

1294-2 新原・奴山12号墳のおまけの「24号墳」 福岡県福津市 54m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「新原・奴山24号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:54m 後円部:径31m 高7m 前方部:幅18.5m 長24m 高5m」と記されています。「津屋崎古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
 古墳は、大きな削平もなくよく残されています。

 ほぼ全景。右が後円部、左が前方部。
            2014年10月撮影。


 説明板の一部。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 全景。右が後円部、左が前方部。
              以上2011年6月撮影。



 追記

 2020年2月10日のブログに、「追加1294-2 新原・奴山古墳群24号墳」として、新しい絵を掲載しています。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2019年06月02日

1294-1 新原・奴山12号墳のおまけの「30号墳」 福岡県福津市 54m

  福津市のHP.の「世界遺産 新原・奴山古墳群」の「30号墳」の項目で、 「6世紀中頃に築造された全長54mの前方後円墳です。全体として保存状態が良い古墳で、周溝がある可能性もあります。現在も前方後円墳としての形をよく見ることができます。」と記されています。「津屋崎古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
 10月に訪問した時は、周囲にコスモスの花が咲き乱れ、墳丘の緑に華やかなアクセントをつけていました。

 ほぼ全景。右手前が前方部、左奥が後円部。


 全景。手前が前方部端、奥が後円部。
            以上2014年10月撮影。


 説明板の一部。


 前方部左隅から後円部。


 ほぼ全景。右手前が前方部、左奥が後円部。
              以上2011年6月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)