2019年06月09日

1300-1 虎塚古墳のおまけの「馬渡埴輪製作遺跡」 茨城県ひたちなか市

 茨城県教育委員会のHP.の「馬渡埴輪製作遺跡」の項目で、「古墳時代の5世紀末から6世紀頃(1400~1500年前)に操業していた埴輪製作遺跡です。原料の粘土採掘から形を作り、焼き上げるまでの一貫した遺構と工人たちの住居跡がともに発見され、埴輪製作の実態をよくうかがわせ、古墳時代後期の埴輪製作所跡としてその学術的価値が高いものです。 昭和40年(1965)から平成3年(1991)まで20回に及ぶ発掘調査を実施した結果、粘土採掘坑跡25か所、工房跡12基、窯跡19基、住居跡2軒、溝跡などの遺構が確認されています。遺構からは、人物・馬・円筒などの埴輪が多数出土し、工人たちの使用した土器類や鉄器なども発見されています。」と記されています。国の史跡に指定され、「馬渡埴輪製作遺跡公園」として、整備・保存されています。
 前項の虎塚古墳の約3km北にあります。ただし、虎塚古墳からは埴輪の出土は確認されていないということなので、直接的な関係は無いと思われます。

 ひたちなか市教委の説明板。


 A地区の説明板。


 A地区の埴輪窯跡2つ。
 


 B・C地区の説明板。


 BC地区の埴輪窯跡。
              以上2012年4月撮影。  


Posted by じこま at 10:10Comments(0)

2019年06月09日

1300 虎塚古墳(虎塚1号墳) 茨城県ひたちなか市 57m

 稲田健一さんは、「最初の発掘調査は一九七三年八月一六日から開始された。まず墳丘をおおっていた樹木を伐採し、墳丘の全貌を一望できる状態にした。 測量の結果、墳丘の全長五六.五メートル、高さ七.五メートルの前方後円墳であることが判明した。墳丘に葺石や埴輪の樹立はないことから、古墳時代でも後期、六世紀末以降の前方後円墳であることが推測できた。」(『装飾古墳と海の交流 虎塚古墳・十五郎穴横穴墓群』p.9)と述べています。古墳は、国の史跡に指定されています。
 著名な壁画古墳です。おっさん的には、東日本の壁画古墳を含む装飾古墳の中で、「ピカイチ」だと思います。古墳は、東水戸道路の「ひたちなか」IC.の約400m西に位置しています。那珂川の支流の中丸川の北岸台地上に立地しています。古墳は、「虎塚古墳史跡公園」として整備・保存され、美しい姿を見せています。また、近くにひたちなか市の埋蔵文化財調査センターが設立され、壁画のレプリカや出土品、馬渡埴輪製作遺跡の人物埴輪や馬形埴輪などが展示されています。ただ、実物の壁画は、春と秋の一般公開日しか見学できないので、訪問時は庇のついたオシャレな石室入口の絵を撮っただけでした。「ちゃんと調べて行きん」。
 約3.5km東北東に川子塚古墳(ランキング550位)や大穴塚古墳(ランキング1087位)があります。

 史跡公園の石碑。石柱。


 ひたちなか市教委の説明板。ひたちなか市教委の石室説明板。


 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後円部。

 後円部墳頂。

 石室入口。


 ほぼ全景。左手前が前方部、右奥が後円部。


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北から。
            以上2015年6月撮影。


 旧石室説明板。


 後円部。前方部。


 前方部左隅から後円部。


 前方部端全景。
              以上2009年10月撮影。  


Posted by じこま at 09:09Comments(0)

2019年06月09日

1299 竹生野天皇山(たこのてんのうやま)1号墳 石川県宝達志水町 57(53)m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「天皇山1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:57m 後円部:径34m 高6m 前方部:幅25m 高4m」と記されています。ただし、「北村さんちの遺跡めぐり」では、石川考古学研究会誌の「竹生野天皇山古墳群の測量調査(2000年調査)」を参考に、「全長53mの前方後円墳」と記されています。
 古墳は、国道471号線がJR七尾線の「宝達」駅と「敷浪」駅の中間地点を横切る場所から約200m東の丘陵上にあります。古墳には神明社が祀られており、国道の一本北にある道路に面した「竹生野集落センター」を目印として、その北側にある住宅地の間の細道から上っていくことになります。神明社にむかう長い石段の脇に「竹生野 神明社御由緒」という石碑があり、「古来御陵山・天皇山と称する古墳の上に鎮座する。(中略)この古墳は古墳時代後期の前方後円墳で、全長約五七メートルあり、この時代では能登地方で最大級のものであり(後略)」と記されています。丘陵頂部の社殿部分が後円部と思われますが、オフシーズンの6月に訪問したため下草が繁茂しており、はっきりと墳形を確認することはできませんでした。

 神明社の石碑。


 後円部右側。左側。北東から。

 前方部。


 前方部から後円部。北から。


 後円部近景(左に前方部あり)。西から。


 後円部端右側。左側。南から。


 後円部端全景。
            以上2014年6月。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)