2019年06月18日
[1305-1] 生目5号墳 宮崎県宮崎市 54→(57)m
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』では、「14号墳に後続する5号墳は、墳長57mを測り、後円部、前方部共に2段築成である。14号墳と同様に壺形埴輪を樹立するが、後円部、前方部墳頂面の平野部側にのみ少量樹立している。また、葺石も斜面部に限定され、埴輪、葺石共に退化傾向にある。」と述べています。ランキングの参考にさせていただいている「古墳探訪」では54mというデータだったので、ランキング外という認識でした。しかし、上記の報告書では57mとなっており、23号墳と同じ墳長なので、[1305-1]として書いていきます。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
古墳は、葺石も含めて復元され、当然墳形や2段築成ということもバッチリとわかります。最初の訪問時、白色の墳丘が印象的でしたが、再訪時は経年劣化(変化)のためか、やや黒ずんで見えました。「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど せめて今夜だけでもきれいになりたい」(中島みゆき作曲 『化粧』より)。
また、この5号墳の周溝の外側に19号地下式横穴墓が見つかっており、こちらも原位置でレプリカが保存されています。この生目古墳群では、前方後円墳の周囲に地下式横穴墓が造られるケースがよく見られます。橋本達也さんは、「九州南部を最も特徴づけ、地域独自の墓制としてよく知られているのが地下式横穴墓であろう。この墓制は肝属平野南部を南端とし、宮崎平野中部の高鍋町を北限としている。」(p.131)、「地下式横穴墓が分布域を広げ、築造数を増やすのは男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳の築造期以降である。この段階は前方後円墳を築造する首長層がより限定されはじめ、同時に首長層の埋葬にも地下式横穴墓の採用が始まる。(中略)地下式横穴墓と古墳被葬者とで民族や出自が異なるという安易な想定がすでに考古学的な根拠を失っていることは明らかで、地下式横穴墓に対して『隼人の墓制』などという標題をつけることはもはや学問的な営みとはいえない。」(pp.133~134)と述べています。(「【九州南部】」、広瀬和雄・和田晴吾編 『講座 日本の考古学7 古墳時代上』所収)
宮崎市教委の説明板。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


後円部墳頂。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。
以上2017年11月撮影。
後円部の一部。前方部。

やや全景。左が後円部、右奥が前方部。手前に地下式横穴墓の一部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。
以上2009年7月撮影。
古墳は、葺石も含めて復元され、当然墳形や2段築成ということもバッチリとわかります。最初の訪問時、白色の墳丘が印象的でしたが、再訪時は経年劣化(変化)のためか、やや黒ずんで見えました。「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど せめて今夜だけでもきれいになりたい」(中島みゆき作曲 『化粧』より)。
また、この5号墳の周溝の外側に19号地下式横穴墓が見つかっており、こちらも原位置でレプリカが保存されています。この生目古墳群では、前方後円墳の周囲に地下式横穴墓が造られるケースがよく見られます。橋本達也さんは、「九州南部を最も特徴づけ、地域独自の墓制としてよく知られているのが地下式横穴墓であろう。この墓制は肝属平野南部を南端とし、宮崎平野中部の高鍋町を北限としている。」(p.131)、「地下式横穴墓が分布域を広げ、築造数を増やすのは男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳の築造期以降である。この段階は前方後円墳を築造する首長層がより限定されはじめ、同時に首長層の埋葬にも地下式横穴墓の採用が始まる。(中略)地下式横穴墓と古墳被葬者とで民族や出自が異なるという安易な想定がすでに考古学的な根拠を失っていることは明らかで、地下式横穴墓に対して『隼人の墓制』などという標題をつけることはもはや学問的な営みとはいえない。」(pp.133~134)と述べています。(「【九州南部】」、広瀬和雄・和田晴吾編 『講座 日本の考古学7 古墳時代上』所収)
宮崎市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。
後円部の一部。前方部。
やや全景。左が後円部、右奥が前方部。手前に地下式横穴墓の一部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部。
Posted by じこま at
09:09
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2019年06月18日
[1227-13] 生目9号墳 円墳 径38n→(9号墳+33号墳 前方後円墳 60m)
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』では、「古墳群中最大規模の円墳である9号墳(径38m)は33号墳を前方部とする墳長60mの前方後円墳である可能性が非常に高いが、くびれ部が完全に失われているため断定は困難である。」(p.4)と述べられています。また、「第1表 生目古墳群一覧」(p.6)では、「墳形:円(前円) 規模(m)長×円径×高:38(60) 規格:墳丘上部削平 葺石:無 備考:33号墳を前方部とする前方後円墳か」とも記されています。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
上記のように、9号墳は従来直径38mの円墳と考えられていましたが、発掘調査の結果9号墳を後円部とする前方後円墳の可能性が指摘されています。ここでは、墳長60mの前方後円墳として書いていきます。後円部(9号墳)は、上部が削平されテーブル状となっています。訪問時、円墳という前提で撮っていたため前方後円墳らしい絵はありません。
標識。
9号墳全景。
以上2009年7月撮影。
3号墳の前方部上から見る9号墳(後円部)と33号墳(前方部)。
中央が9号墳(後円部)、その右側が前方部(33号墳)か。2017年11月撮影。
上記のように、9号墳は従来直径38mの円墳と考えられていましたが、発掘調査の結果9号墳を後円部とする前方後円墳の可能性が指摘されています。ここでは、墳長60mの前方後円墳として書いていきます。後円部(9号墳)は、上部が削平されテーブル状となっています。訪問時、円墳という前提で撮っていたため前方後円墳らしい絵はありません。
標識。
9号墳全景。
3号墳の前方部上から見る9号墳(後円部)と33号墳(前方部)。
Posted by じこま at
08:08
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