2019年06月17日
[1021-4] 生目14号墳 宮崎県宮崎市 63m
ランキングの参考にさせてもらっている『古墳探訪』で、古墳単独の情報としては掲載されていましたが、何故かランキングでは漏れていました。そのため、[1021-4]として掲載します。
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』では、「墳長63mの14号墳は、後円部、前方部共に2段築成で、葺石が良好な状態で残存しており、墳丘斜面、平坦面共に石で覆われていたことが明らかになっている。また壺形埴輪を、墳頂平坦面、スロープ上に樹立していたことが明らかになっている」(p.4)と述べられています。また、「第1表 生目古墳群一覧」(p.6)では、「墳形:前円 規模(m)長×円径×高:63×39×4.4 規格:後円部、前方部2段」と記されています。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
最初の訪問時、後円部には破れたブルーシートが放置され、墳丘上には木々が茂っていました。再訪時、木々は刈られて整備され、墳形もよくわかるようになりました。余談ですが、ちょうどこの時小学生が社会見学に来ており、このような史跡公園で体験できるとはうらやましい限りでした。
標柱。宮崎市教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


後円部墳頂。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。南西から。
以上2017年11月撮影。
旧標柱。標石。

後円部。前方部。
以上2009年7月撮影。
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』では、「墳長63mの14号墳は、後円部、前方部共に2段築成で、葺石が良好な状態で残存しており、墳丘斜面、平坦面共に石で覆われていたことが明らかになっている。また壺形埴輪を、墳頂平坦面、スロープ上に樹立していたことが明らかになっている」(p.4)と述べられています。また、「第1表 生目古墳群一覧」(p.6)では、「墳形:前円 規模(m)長×円径×高:63×39×4.4 規格:後円部、前方部2段」と記されています。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
最初の訪問時、後円部には破れたブルーシートが放置され、墳丘上には木々が茂っていました。再訪時、木々は刈られて整備され、墳形もよくわかるようになりました。余談ですが、ちょうどこの時小学生が社会見学に来ており、このような史跡公園で体験できるとはうらやましい限りでした。
標柱。宮崎市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。南西から。
旧標柱。標石。
後円部。前方部。
Posted by じこま at
09:09
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2019年06月17日
1305 生目23号墳 宮崎県宮崎市 57m
生目古墳群には、墳丘長100m以上の古墳が、3号墳(ランキング85位)・1号墳(ランキング117位)・22号墳(ランキング174位)と3基もある大規模な古墳群です。東憲章さんは、「南九州地域においてはじめに他を圧倒する規模で出現したのは、宮崎平野・大淀川流域の生目古墳群である。」「四世紀代に一〇〇メートル超の前方後円墳三基をつづけざまに生み出した生目の勢力は、南九州の地域首長のなかでも突出した存在であった。」(『古墳時代の南九州の雄 西都原古墳群』 p.25)と述べています。
その後は、60m級の古墳が3基(可能性を含めると4基)築造されています。(宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』(p.6)の「第1表 生目古墳群一覧」による)。上記報告書で23号墳は、「墳形:前円 規模(m)長×円径×高:57×30×4.9」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「生目23号墳(生目旧33号墳)」の項目でも、「墳丘 形状:前方後円 墳長:57m 後円部:径30m 高4.9m 前方部:幅12m 長26m 高2.1m」と記されています。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。また、生目古墳群史跡公園として整備・保存されています。
古墳は、群中では、22号墳と同じく南端付近に位置しています。林の中にあり、やや見つけにくい古墳です。そのためか、実際の規模より小さく感じました。余談ですが、生目古墳群の墳丘データは、これから上記報告書を参考にして書いていきたいと思います。
宮崎市教委の説明板。
標柱。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

後円部墳頂。
前方部から後円部。北から。
以上2017年11月撮影。
標石。
後円部か。前方部か。
以上2009年7月撮影。
その後は、60m級の古墳が3基(可能性を含めると4基)築造されています。(宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』(p.6)の「第1表 生目古墳群一覧」による)。上記報告書で23号墳は、「墳形:前円 規模(m)長×円径×高:57×30×4.9」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「生目23号墳(生目旧33号墳)」の項目でも、「墳丘 形状:前方後円 墳長:57m 後円部:径30m 高4.9m 前方部:幅12m 長26m 高2.1m」と記されています。「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。また、生目古墳群史跡公園として整備・保存されています。
古墳は、群中では、22号墳と同じく南端付近に位置しています。林の中にあり、やや見つけにくい古墳です。そのためか、実際の規模より小さく感じました。余談ですが、生目古墳群の墳丘データは、これから上記報告書を参考にして書いていきたいと思います。
宮崎市教委の説明板。
標柱。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部墳頂。
前方部から後円部。北から。
標石。
後円部か。前方部か。
Posted by じこま at
08:08
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