2019年06月12日
1303-2-2 安養寺3号墓 島根県安来市 四隅突出型墳丘墓 辺30×20m
安来市観光協会のHP.の「古代出雲王陵の丘」の「安養寺(あんようじ)墳墓群【消滅】」の項目で、「四隅突出墓2基を中心とする墳墓群で、とくに3号墓は弥生時代に築かれた、1辺級30m(おっさん註 「一辺30m級」か)の大型の四隅突出墓です。 斜面に大きめの板石を貼り、裾周りを2段の石積み取り囲む手の込んだつくりは出雲地域の特徴です。現在、住宅団地の横に貼石の縮小模型が復元されています。」と記されています。
余談ですが、四隅突出型墳丘墓の特徴を残す方墳の塩津山1号墳は、「ランキング1110-3」で紹介しています。出雲東部の安来市は、弥生時代後期後半の大型四隅突出型墳丘墓から古墳時代前期前半の大型方墳へと墳丘形式の変遷が明らかになっている特色ある地域です。
安来市教委の説明板。
復元模型。
以上2013年11月撮影。
余談ですが、四隅突出型墳丘墓の特徴を残す方墳の塩津山1号墳は、「ランキング1110-3」で紹介しています。出雲東部の安来市は、弥生時代後期後半の大型四隅突出型墳丘墓から古墳時代前期前半の大型方墳へと墳丘形式の変遷が明らかになっている特色ある地域です。
安来市教委の説明板。
復元模型。
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10:10
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2019年06月12日
1303-2-1 仲仙寺墳墓群 四隅突出型墳丘墓 島根県安来市
「弥生時代の墳丘墓である四隅突出型墳丘墓を、古墳のランキングに組み入れるとはいかがなものか」という正論は、もっともな意見だと思います。ただし、参考にさせてもらっている「古墳探訪」のランキングでは、955位に西桂見墳丘墓(おっさん註 「探訪」では「西桂見古墳」と表記され墳丘形式に「四隅突出型」と記されています。)、609位に楯築墳丘墓(おっさん註 「探訪」では「楯築古墳」と表記され、概要で「弥生式墳丘墓とされる」と記されています。)が掲載され、当初は発生期の古墳という認識もあったので「おまけ」的な意味を含めて取り上げていきたいと思います。まずは、宮山Ⅳ号墓に続けて、安来市の四隅突出型墳丘墓から。
安来市観光協会のHP.の「古代出雲王陵の丘(こだいいずもおうりょうのおか)」の「仲仙寺(ちゅうせんじ)墳墓群【国指定】」の項目で、「もともと19基からなる墳墓群でしたか、現在では2基の四隅突出墓が保存整備されています。8~10号墓は中規模(18m、含突出27m)の四隅突出墓です。墳頂部にある3基の墓穴に木棺を納め、遺骸を弔っていました。また弥生時代後期後半の土器が出土しています。昭和40年代に発見され四隅突出墓の存在を全国に広めました。」と記されています。
島根県教委・安来市教委の説明板。
説明板と標柱。
① 8号墳 四隅突出型墳丘墓 辺18×14m
全景。
② 9号墳 四隅突出型墳丘墓 辺19×16m
説明板。
ほぼ全景。
全景。
墳頂の墓壙。
以上2013年11月撮影。
安来市観光協会のHP.の「古代出雲王陵の丘(こだいいずもおうりょうのおか)」の「仲仙寺(ちゅうせんじ)墳墓群【国指定】」の項目で、「もともと19基からなる墳墓群でしたか、現在では2基の四隅突出墓が保存整備されています。8~10号墓は中規模(18m、含突出27m)の四隅突出墓です。墳頂部にある3基の墓穴に木棺を納め、遺骸を弔っていました。また弥生時代後期後半の土器が出土しています。昭和40年代に発見され四隅突出墓の存在を全国に広めました。」と記されています。
島根県教委・安来市教委の説明板。
説明板と標柱。
① 8号墳 四隅突出型墳丘墓 辺18×14m
全景。
② 9号墳 四隅突出型墳丘墓 辺19×16m
説明板。
ほぼ全景。
全景。
墳頂の墓壙。
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09:09
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2019年06月12日
1303-2 神塚古墳(宮山1号墳)のおまけの「宮山Ⅳ号墓」 四隅突出型墳丘墓 辺19×15m(突出部を含まず)
「仲仙寺古墳群 宮山支群」を構成する墳墓のひとつとして、国の史跡に指定されています。
島根県安来市教育委員会の『史跡 荒島古墳群・仲仙寺古墳群 -整備事業報告書ー』では、「大型の四隅突出型墳丘墓は地域における有力首長墓と考えられるが、出雲地域において東西二つの密集地が認められる。荒島地区は東部の密集地である。日本各地で青銅器や特殊な土器をシンボルとしたまとまりを見せる中、山陰地域では四隅突出型墳丘墓を仲介とする結びつきがあったと考えられている。その分布は山陰から北陸にかけて認められるが、出雲地域は集中度や形態の完成度においてその一大中心地といえる。荒島地区の四隅突出型墳丘墓は、仲仙寺8・9・10号墓(8・9号墓は史跡仲仙寺古墳群、10号墓は消滅)、宮山Ⅳ号墓(史跡仲仙寺古墳群)、安養寺1・3号墓(消滅)、下山1号墓、塩津山6・10号墓(史跡荒島古墳群)であり、おおよそ荒島地区の南東部に分布している。このうち、大型の四隅突出型墳丘墓が所在する塩津山丘陵には、これら墳墓と同時期の拠点集落が調査されている。」(p.1)」、「宮山支群 Ⅳ号墳(ママ) 四隅突出型墳丘墓 18.8×15(突出部を含まない) 第1主体部・組合せ木棺(大刀)、墳丘から弥生土器」(p.4)と述べられています。
突出部3つ。


墳頂の墓壙。
ほぼ全景。3号墳から見る。
以上2013年11月撮影。
島根県安来市教育委員会の『史跡 荒島古墳群・仲仙寺古墳群 -整備事業報告書ー』では、「大型の四隅突出型墳丘墓は地域における有力首長墓と考えられるが、出雲地域において東西二つの密集地が認められる。荒島地区は東部の密集地である。日本各地で青銅器や特殊な土器をシンボルとしたまとまりを見せる中、山陰地域では四隅突出型墳丘墓を仲介とする結びつきがあったと考えられている。その分布は山陰から北陸にかけて認められるが、出雲地域は集中度や形態の完成度においてその一大中心地といえる。荒島地区の四隅突出型墳丘墓は、仲仙寺8・9・10号墓(8・9号墓は史跡仲仙寺古墳群、10号墓は消滅)、宮山Ⅳ号墓(史跡仲仙寺古墳群)、安養寺1・3号墓(消滅)、下山1号墓、塩津山6・10号墓(史跡荒島古墳群)であり、おおよそ荒島地区の南東部に分布している。このうち、大型の四隅突出型墳丘墓が所在する塩津山丘陵には、これら墳墓と同時期の拠点集落が調査されている。」(p.1)」、「宮山支群 Ⅳ号墳(ママ) 四隅突出型墳丘墓 18.8×15(突出部を含まない) 第1主体部・組合せ木棺(大刀)、墳丘から弥生土器」(p.4)と述べられています。
突出部3つ。
墳頂の墓壙。
ほぼ全景。3号墳から見る。
Posted by じこま at
08:08
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