2019年06月19日
1305-2 生目23号墳のおまけの「21号墳・19号地下式横穴墓」 宮崎県宮崎市
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査ー』の序の中で、「本書は、史跡生目古墳群保存整備事業に伴う生目21 号墳の発掘調査報告書です。この生目21号墳の発掘調査では二つの大きな驚きがありました。 一つ目は古墳の「形」が変わったことです。生目古墳群は昭和18 年9月8日に国史跡に指定されましたが、その際、21号墳は円墳として指定を受けていました。ところが平成14 年度、史跡整備に伴う発掘調査をおこなったところ、古墳の周りの溝の状況から、円墳ではなく前方後円墳である可能性が浮かび上がってきました。そして平成19年度、20 年度の追加調査によって、古墳周囲の溝が鍵穴形に巡ることが確認され、円墳ではなく前方後円墳であることが明確になりました。また造られた時代も4 世紀前半と、生目古墳群の前方後円墳の中でも最も古い段階に造られたことも明らかになりました。
二つ目は、古墳の周囲の溝から地下式横穴墓が13基もみつかったことです。21号墳は古墳の長さが36 mと小さな前方後円墳ですが、その周囲の溝の中に、ところ狭しと地下式横穴墓が造られていたのです。また平成22 年度に、その中の7 基の発掘調査をおこなったところ、5 世紀初め頃という最も古い段階に造られた地下式横穴墓が含まれていることが明らかになり、更なる驚きを与えてくれました。」と述べられています。21号墳も、「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
また、19号地下式横穴墓は生目5号墳の周溝の外側で発見されたもので、原位置でレプリカが復元されています。
① 生目21号墳 前方後円墳 36m
説明板。
前方部跡から後円部。東から。
ほぼ全景。中央手前が後円部、左奥が前方部跡。中央上部は22号墳の後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部跡。北から。
以上2017年11月撮影。
前方部跡から後円部。
2009年7月撮影。
② 19号地下式横穴墓
説明板。
全景2つ。
以上2017年11月撮影。
全景。
2009年7月撮影。
二つ目は、古墳の周囲の溝から地下式横穴墓が13基もみつかったことです。21号墳は古墳の長さが36 mと小さな前方後円墳ですが、その周囲の溝の中に、ところ狭しと地下式横穴墓が造られていたのです。また平成22 年度に、その中の7 基の発掘調査をおこなったところ、5 世紀初め頃という最も古い段階に造られた地下式横穴墓が含まれていることが明らかになり、更なる驚きを与えてくれました。」と述べられています。21号墳も、「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
また、19号地下式横穴墓は生目5号墳の周溝の外側で発見されたもので、原位置でレプリカが復元されています。
① 生目21号墳 前方後円墳 36m
説明板。
前方部跡から後円部。東から。
ほぼ全景。中央手前が後円部、左奥が前方部跡。中央上部は22号墳の後円部。
全景(横から)。右が後円部、左が前方部跡。北から。
前方部跡から後円部。
② 19号地下式横穴墓
説明板。
全景2つ。
全景。
Posted by じこま at
09:09
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2019年06月19日
1305-1 生目23号墳のおまけの「7号墳」 宮崎県宮崎市 48→(46)m
宮崎市教育委員会の『生目古墳群Ⅵ -生目21号墳発掘調査報告書ー』では、「墳長46mの7号墳は、後円部南西側から後円部墳丘内の中心方向に玄室をもつ、大型の妻入り地下式横穴墓が確認されており、構築状況、規模から7号墳の中心埋葬施設の可能性が高い。また、この地下式横穴墓と墳丘主軸を挟んだ対面側の位置から造り出しが検出され、多量の土師器、須恵器が出土しており、これらの遺物から集成編年8期に比定されている。」(p.4)と述べられています。この7号墳の周囲では、上記の例も含めて10基の地下式横穴墓が発見されているそうです。7号墳も、「生目古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
標柱。説明板。

2つで全景(横から)。前者が後円部、後者が前方部。

全景(横から)。右が前方部、左が後円部。3号墳の前方部から見る。北西から。
以上2017年11月撮影。
右手前が前方部、左奥が後円部。
左手前が前方部、右奥が後円部。
以上2009年7月撮影。
標柱。説明板。
2つで全景(横から)。前者が後円部、後者が前方部。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。3号墳の前方部から見る。北西から。
右手前が前方部、左奥が後円部。
左手前が前方部、右奥が後円部。
Posted by じこま at
08:08
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